今日の個所は、ダビデがまだ王となる前の出来事です。ダビデはもろもろの危機を体験しましたが、とくに、サウルの追撃の手から救い出された時の賛美です。内容的には詩篇18篇とほぼ同じです。ダビデが逃げざるを得なかったのは、ダビデの罪のゆえではなく、サウル王の嫉妬による偽りの訴えによるものでした。ダビデにはまったく謀反の心はありませんでしたが、サウルは謀反の心があるとして糾弾したのです。謀反の罪とは最も重い罪であり、その刑罰は死刑が普通でした。
サウルは王でしたから、地方のすべての官吏や、また、イスラエルの軍隊を用いてダビデをとらえようとしていました。ですから、その追及の手は、非常に厳しくダビデの安全は、はなはだしく脅かされていました。しかし、主はダビデがそのような時期を通ることを、あえて許されました。実は、ダビデはこの体験を通して、主こそ、真の巌であり、砦であり、避け所であり、救いであることを、心の中に刷り込んだのでした。「主は私のささえであった」、「神、その道は完全」、「主は生きておられる」と心から告白できるようになったのです。
きょう、想像の翼を広げて、ダビデが危機的な状況から救い出されたことを思い描きながら、この賛美を味わいましょう。
主は生きておられます。そして、素晴らしい私たちの救い主でおられます。賛美します。

清宣教師