歴代誌4章において、「宮」とか、「神殿」ということばは建物全体を指し「内堂」は至聖所、「本堂」は聖所を指していると思われます。
さて、7節と20節では、「規格どおり」に造ったと記されています。モーセの幕屋の時もそうでしたが、人間の考えではなく、主が指示されたものについては、細部に至るまで、その指示通りに造ったということです。
ところで、その大きさと数ですが、モーセの幕屋の時とは異なり、例えば祭壇の大きさは、モーセの幕屋の青銅の祭壇は長さ5キュビト、幅5キュビト、高さ3キュビトでしたが、今回のソロモンの神殿の青銅の祭壇は、長さ20キュビト、幅20キュビト、高さが10キュビトもあり(4章1節)、モーセの幕屋の時よりも大きくなっています。モーセの幕屋の時代に比べて、イスラエルの人口が増えたこと、また、祭司やレビ人など奉仕者の数も増えたことが、その理由と考えられます。
一方、洗盤の数は、モーセの幕屋の時は1個でしたが、ソロモンの神殿の場合は10個(6節)ということで、モーセの幕屋の時の10倍の数となっています。同様に、聖所の中の金の燭台、備えのパンの机も、それぞれ10個(7,8節)となり、モーセの幕屋の時の10倍となっています。ただし、それぞれ個々の燭台やパンの机は、モーセの時に示された規格にしたがって造られました(7節、20節)。
他方、大きな鋳物の海が造られました。これは特に祭司が身を洗うためのものでした。また、洗盤は、犠牲として捧げる動物を清めるためのものでした(6節)。
このようにして、神殿は、7年の歳月をかけて完成します。ただし、3章2節を見ると、神殿の建設にとりかかったのがソロモンの治世の第4年の第2の月でした。つまり、その前に、約3年余りの歳月が準備のために費やされたと推測されます。つまり、準備に3年余、建設に7年をかけて完成に至ったと考えられます。7年の工期に対して、3年余の準備期間ということを考えると、準備の大切さ、準備に惜しまずに時間をかけることの大切さが教えられるように思います。
礼拝の奉仕もまた、準備が大切です。礼拝の奉仕者は人の前に立つので目立つけれども、掃除やスリッパ拭きなどの奉仕は目立たない奉仕と考えられています。確かにそれもひとつの考えですが、本来、礼拝の奉仕者は人の前に立って奉仕する時間は、説教者にしても、奏楽者にしても、準備の時間の10分の1にも満たないと思われます。10分の9以上は、目立たない奉仕です。やはり、目立たない奉仕者の一員であると考えることが出来ます。
また、賛美のアシストの奉仕者、あるいは、司会者や音響の奉仕者も、とても、重要です。説教者や奏楽者の奉仕を生かすも殺すも、司会者や賛美のアシスト奉仕者、音響の奉仕者にかかっているのです。その責任は大きいと考えます。そして、隠れたところでの奉仕こそ、主からの報いも大きいのです(マタイの福音書、6章4節、6節参照)。
清宣教師