聖書の中で、女性の名前が書名として用いられているのは、この「エステル記」と「ルツ記」のふたつだけです。エステルとは、「星」を意味するペルシャ語です。エステルのヘブル語の名は、「ハダサ」でした(2章7節)。ハダサとは、ミルトスを意味しますが、ミルトスは芳香のある葉、白く美しい花を咲かせる常緑の灌木です。

エステル記の時代背景ですが、バビロン捕囚後の出来事です。紀元前538年のペルシャ王クロスによってエルサレム帰還の勅令が出されましたが、それから半世紀くらいあとのアハシュエロス王の時代でした。アハシュエロス王は、別名クセルクセス王ともよばれています。前の書のネヘミヤやエズラとは異なり、ペルシャ帝国の首都シュシャンの宮中での出来事でした。シュシャンは、バビロンと並ぶペルシャ帝国の首都であり、王は、主に冬と夏をこの宮殿で過ごしたようです。アハシュエロス王は、父ダリヨス1世の後を受けて即位したのが紀元前486年で、465年に暗殺されています。21年間の治世でした。1章3節には、その治世の第3年と記されていますから、紀元前483年の頃の出来事と考えられます。

ところで、このエステル記のもうひとつの特徴は、エルサレムを遠く離れた異邦の国の中での出来事であり、契約の神の御名は一度も出てこないことです。しかし、神の御名は記されていませんが、神の驚くべき摂理の御手が記されています。それで、ある注解者は、この書を「ご自身を隠されたお方の物語」と呼んでいます。ひとりの女性がユダヤ民族のために、いのちをかけて、同胞のいのちを救うことができたことは、驚くべき神の恵みでした。

さて、1章では、ペルシャ王が127州の首長たちや家臣を集めて、大宴会を催しました(1節~8節)。一方、王妃のワシュティも王宮で婦人たちのための宴会を催していました(9節)。その中で、アハシュエロス王は、王妃ワシュティを宴会に呼んで、その美しさを首長たちに見せようとしました。しかし、ワシュティは王の命令を拒みました(12節)。このことが、大問題となり、アハシュエロス王は、法律に詳しい知恵のある者たちを招集して、王妃ワシュティに対する処分について相談しました(15節)。王国の最高の地位に着いていたメムカンが代表して、答申しました。その案の骨子は、もし、このまま、王妃ワシュティに対して何も処分しないなら、すべての首長の夫人たちも夫を軽んじるに違いない。それで、王妃ワシュティを王妃の位から退けて、2度とワシュティは王の前に出てはならないという勅令をだし、ペルシャとメディアの法令の中に書き入れ、新たにワシュティよりも優れた女性に、王妃の位を授けるのが良いという中身でした。この答申は、王と首長たちの心にかなったので、その通り、実行されました(21節)。そして、この決定は、すべての州に伝えられました(22節)。

王妃ワシュティの判断については、王は、極度に酔っており、座興のひとつとして、全裸に近い姿で来るように命じたのではないかとも言われており、王妃としての尊厳を守る正しい決断であったとする意見と、従うべきだったという両方の意見があります。いずれにせよ、この騒動の背景には、宮中での権力闘争があったと考えられています。さて、このあと、どのように展開するのでしょうか。

清宣教師