ヨブ記281節~11節:人間の目から隠された地中にある、金や銀、宝石などを探すひとたちの並々ならぬ努力を描いています。彼らは、人里離れた山奥へ入り、危険をかえりみず、探し回り、その手がかりを見つけたなら、そこに坑道を切り拓き、隠された宝を明るみに出します。その鋭い感覚は、獲物を見つける動物たちの本能よりも優れています。それほど、人間は金銀宝石を探すのに、持てるすべての熱意と技術を駆使します。(しかし、真の知恵を探すには、それだけの熱意と努力を払っているだろうか?)

12節~19節:真の知恵はどこに隠されているのか、どこから見つけ出せばよいのか、真の知恵は金銀宝石ですら、その代価とはなりえない。真の知恵は、人間がすべてを賭けて探し出そうとする金銀宝石よりもはるかに高価であるのに見つけることが出来ないのは何故だろうか、本当の価値を知らないからか、それがどこにあるか分らないからなのか。

20節~28節:それほどの高価なものである知恵ですが、地上にいる生き物に尋ねても、空を飛ぶ鳥たちに尋ねても、よみの世界に尋ねても、それらは知らないという。被造物に尋ねても、彼らの目からは隠されているのです。ただ、創造主である神だけが知恵に至る道を知っており、神だけが真の知恵のありかを知っておられるのです。だから、「主を恐れること、これが知恵である」と結論付けています。

神ご自身にではなく、因果応報の原理や、最先端を行く神学や、あらゆる哲学書の中に真理を求めるヨブの友人たちの姿勢は、真の知恵からは遠く、ヨブのように、神のしもべとしての生ける契約の中で神を知る者は、真の知恵を知るのです。

天国の奥義を解き明かすためにこの世に来られた御子イエス様は、「わたしが道であり、真理であり、いのちです」と宣言されました。神の御子イエス様の中にすべての真の知恵があるのです。イエス様を知ることが、真の知恵を知ることです。

創造主以外のものに真理を見出そうとするのではなく、創造主ご自身の中に、真の知恵があることを覚えることです。

「わたしたちは創造主の高価で尊い作品です。また、キリストの恵みによって贖われた者です」

私たちはすべての真理を所有することが出来る神のこどもとなったのです。

すべての知恵はわたしたちのもの(御父からの相続財産)です。

求めなさい、そうすれば、与えられます。

清宣教師