エリフは、さらに続けてヨブに語りかけています。2節~4節において、エリフは造り主であるお方の義について語ろうとしますが、完全な知識を持つ造り主なる神は、ヨブの側におられて、ヨブにも語りかけて下さるので、エリフのいうことは、真実であることがわかるはずだというのです。

5節~15節において、エリフは、神ご自身は、偉大なお方ではあるが、同時に、ひとりひとりに関心をもっておられるお方であり、とくに、悩みや苦しみを通して、ひとりひとりに適切な働きかけをして下さるお方です。それで、人が神のみこころを知り、悔い改めるなら、神の祝福にあずかることになる(11節)。しかし、聞き入れなければ滅びることになる(12節~14節)。ここで、エリフは苦しみや悩みについて、まとめています。ヨブの3人の友人たちは基本的に、苦しみや悩みは、その人の罪に対する裁きであり、刑罰であると考えていますが、エリフの場合は、苦しみや悩みは、その人に対する神の裁きではなく、神がひとりひとりに語りかけ、教えておられる手段なのだと理解しています。ですから、その人が神の意図するところ、その教えに気付き、神のみこころに立ち返るなら、神は必ず、その悩みから助け出してくださるのです(15節)。

16節~21節において、エリフは、ヨブはなお神の恵みとあわれみの御手の中にあると考えていますが、しかし、ヨブも注意しなければ、高慢のゆえに、悪者のように罪を犯してしまう恐れがある。だから、注意しなさいと警告しています(16節~21節)。

22節~33節において、エリフは、エリフが本当に言いたいことは、神は苦しみや悩みを通して語られているのであって、ひとりひとりに関心をもち、ひとりひとりを導いておられるのだということです。神の創造のみわざは人間の思いを遙かに超えており、人間が神に対して指図したり、非難することはできない(23節)。人間はただ、そのみわざをほめたたえる以外にない(24節)。自然界の現象を通しても、例えば、雨によっても、主はご自分のみこころを示しておられます(27節~33節)。

余談かも知れませんが、エリフは、造り主を知り、造り主の作品である被造物をよく研究している人であったように思われます。気象に主な関心があったように思われます。被造物の中に、造り主の叡智を見出し、そこに神のみこころを知ろうとする真摯な探究心があるように見えます。

37章では、より具体的に稲妻と雷を取り上げて、ヨブに語りかけています。