ヨブに対して、381節から、主は語りかけられていますが、今日の40章の1節と2節は、これまでの主のことばの結びのことばです。主は、最後に再び、ヨブに問いかけています。今度は、ヨブが答えなければならない立場に立たされました。ヨブは神に対して天の法廷で訴えると言って、自分を神よりも正しいとした点について問われています。

そこで、ヨブは答えます。それが403節~5節のことばです。「ああ、私はつまらない者です。あなたに何と口答えできましょう」。ヨブは全能にして創造者である神の前に、もはや何も言うことが出来ず、「二度と私は繰り返しません」と述べました。

それに対して、主なる神は406節~24節(実際には、4134節まで)において、再び、あらしの中からヨブに答えて語られ始めました。403節~5節のヨブの答えは、ヨブの心からの応答であり、主に受け入れられましたが、もうひとつの問題が残っていました。それは、408節の主のことばに記されていますが、「自分を義とするために、わたしを罪に定めるのか」という点でした。この点を取り上げて、主はヨブに迫っています。そして、409節~14節において、主は、高ぶるものを低くされる神であることを強調しています。そして、もしヨブが主を裁くのであれば、ヨブは、主よりもさらに力強い腕をもっていなければならないこと、また、悪者たちを踏みにじる力をもっていなければならないことを示されました。そして、ヨブよ。あなたにはそのような力があるのか、と問うのです(14節)。もちろん、ヨブにはそのような力はありません。結論は主だけが、裁きをなさる力があり、高ぶるものを低くされる唯一のお方であることを明らかにされます。

15節では、「河馬」と訳されていますが、へブル語の言語では、「ベヘーモート」(発音は注解書によって異なりますが)と記されています。「河馬」と訳したのは、日本人の訳者の主観的な判断によるものです。ヘブル語の旧約聖書の本文では「ベヘーモート」は9回用いられています。例えば、ヨブ記127節、4015節、申命記3224節、詩篇491220節、エレミヤ124節、ハバクク217節などです。これらは、日本語の聖書では、「獣」「動物」「家畜」などと訳されています。このヨブ記4015節のべヘーモートの場合の複数形による表記は、強意の複数形と呼ばれ、それにかかる動詞は単数形の動詞です。つまり、ひとつの「巨大な生き物」を示しており、「巨大な生き物」と記すのが、原語に忠実な訳語となります。創造科学の研究者たちは、これはまさに、「恐竜」であると考えております。「河馬」ではなく、「恐竜」です。聖書に書き込んでおくと有益です。これこそ、神が造られた「第1の獣」(4019節)という表現にふさわしい生き物です。この箇所は、創造論のセミナーの定番のテーマの一つです。詳しく知りたい方には、恐竜に関連するCR誌を差し上げます。

では、なぜ、恐竜と訳さなかったのかと言いますと、英語の定本である欽定訳聖書というのが、英国で発行されたのが1611年でした。恐竜の化石が発見されたのが1822年のこと、リチャード・オーエンがその化石の動物に対して名付けた名称が「恐竜」でした。それは1841年のことです。ですから、英語の定本となる欽定訳聖書が登場した時には、「恐竜」ということば、そのものが存在しなかったのです。ではなぜ、いま、それを改めないのか、それは保守的な聖書翻訳の世界では難しいのです。それで、昨年でしょうか、創造主訳聖書が発刊されました。そこでは、「恐竜」と訳されています。ハレルヤ!

清宣教師