今日の詩篇40篇は、注解書によれば、「私の耳は開かれた」という題目をつけています。そして、「耳を開かれる」ということが信仰の服従の基礎であることをこの詩篇は教えている、と記しています。

1度だけでなく、2度読んでも、なかなか、注解書のような結論には達しませんでした。3度読んでみたら、微かに、分るような気がしました。

注解書を頼りに読んでみると、主は、私たちの叫びに耳を傾けて下さる方であると同時に、私たちの心の耳を開き、悟りを与えて下さるお方である、そして、みこころを行うことを喜びとします、という境地に導いて下さるお方であるということを、私たちに語りかけているようである、と私なりに感じることが出来ました。

13節以降は、心の耳を開かれた者が主に従う喜びを体験し、それを聞く者も主に従う者となって真の喜びを体験するように願うダビデの証言の歌であると、注解書は述べています。

以上ですが、今日の個所は、私には全体の流れを追うのが、難しく、注解書による解釈を、そのまま、受け取る以外にありませんでした。ただ、全体の流れを理解することは困難でしたが、それぞれのことば(12節、56節、8節、16節など)については、共感することができました。そして、「あなたは私の耳を開いて下さいました」という境地には、私はまだ達していないことを痛感させられました。主よ。どうぞ、私の心の耳を開いて下さい。悟りを与えて下さい。

清宣教師