連日の暑さでしたが、きょう、私は、かねてからの真人くんとの約束により、仙台に新しく誕生した水族館に行きました。なんと、炎天下で、30分ほど、なが~~~~い行列に並んで待ちました。妊婦の方もおられました。赤ちゃんも、幼児も、高齢者の方もおられました。みな一律、なが~~~~い行列に並んで待ちました。工夫すれば、みなさんを炎天下で待たせる状況を、避けられるのではないか?と思わされました。
さて、きょうの個所は、弱い者やみなしごなど、弱い立場にある人を助け出せ、と記されています(3節、4節)。この点で、最近、今までの見方を変える必要があるのではないかと考えさせられていることがあります。8月に仙台市の市会議員の選挙がありますが、最近、社民党や自民党の市会議員の方と接する機会が与えられましたが、私がマスコミや報道などで得ている感触とは、大きく違いました。市会議員の方々が、どれだけ、市民の暮らしのことを考えて、日常的に献身的に行動していることを教えられ、認識を新たにさせられました。その見識や意気込みには、なにか、大きな励ましをもらいました。仙台市を良く考えている人たちがいるということです。主が、ひとりひとりの議員を祝福して下さるように、祈る者です。
さて、今日の詩篇82篇の1節の最初の「神」は、まことの神のことですが、次の「神の会衆」の「神」はヘブル語で「力ある者」という意味であり、神は、イスラエルの裁判官や権力者を招集して、不正を告発されるという意味です。
5節の「彼ら」とは、不正を行う裁判官たちのことと思われます。「地の基」とは社会の基盤です。権力者が不正な権力行使を行うと、社会の基盤が動揺することを意味していると思われます。
6節の「わたしは言った」は強調をあらわしています。『神々』とは、この地上での「神の代行者」のことです。『子ら』とは、天使ではなく、地上で神の代行者として父なる神の御旨を行うべき人々を表しています。
7節の「人のように」とは、ヘブル語では「アダムのように」となっています。地上で神のような尊い権威と職務を担っている者が、自己改革を怠り、不正を続け、責任を果たさないなら、その行く末には、ただの人としての運命が待ち受けているということです。
8節は、詩人の祈りです。神の代行者としてのイスラエルの指導者が堕落し、反省しない状態ではイスラエルはもとより、全世界を裁くことなど、不可能です。ですから、神ご自身が全地の裁き主として力を表してくださるように求めています。
私たちも、祈ります。日本の国の指導者である安倍首相のために、各閣僚のために祈ります。日本の国が、正しい道を選択して、国々の祝福の基となるように祈ります。安全保障政策のこと、近隣の国々との外交交渉のこと、原発利用の即時停止のこと、幼児や少年、青少年に極めて有害な影響を与える媒体のこと、少子化のこと、健全な経済のありかたのこと、農業、林業、漁業など、一次産業のありかた、その他、多くのことがあります。その根底には、創造主を認めようとしない心があります。
すべての解決は、日本の国民が創造主を知り、創造主を認め、創造主を礼拝する民となることです。これこそ、私たちの教会に与えられている使命です。主よ、どうぞ、この教会を祝福して下さい。その使命を果たすものとして、教会の内外から、多くの人材を起こしてください。私たちの働きの地境を拡げて下さい。ミッションスクールの領域、仏教や神道の領域、実業家の領域、女性たちの領域、すべての領域を開いて下さい。
清宣教師