今年は冷夏という予想もありましたが、どうやら、暑い夏になりそうです。稲作農家の方にとっては、冷夏でなくて、ホッとされたことでしょう。
今日の詩篇98篇は、バビロン捕囚からの解放に対する賛歌です。イスラエルの救いは、歴史の中で全世界に対する神の救いと義を表すためのものです。「新しい歌を主に歌え」、神様のわざは、日ごとに新しく、その御業に対する賛美も新しい感動の中で歌われるのがふさわしいです。「主は奇しいわざをなさった」、神様はご自分の力でイスラエルの民をバビロンの地から救い出されました。イスラエルの主が王として全地を支配される方であることを認めて、全地も、海も、世界も、その中に住むものも、喜びをもって王を迎えるように勧めています。このように、バビロンからの救いを通して、この詩篇の作者は、全世界の救いへと心を向け、主の最後の審判に対する信仰の告白をしています。
「新しい歌を主に歌え。主は、奇しいわざをなさった。その右の御手と、その聖なる御腕とが、主に勝利をもたらしたのだ。主は御救いを知らしめ、その義を国々の前に現わされた。主はイスラエルの家への恵みと真実を覚えておられる。地の果て果てまでもが、みな、われらの神の救いを見ている。全地よ。主に喜び叫べ。大声で叫び、喜び歌い、ほめ歌を歌え。立琴に合わせて、主にほめ歌を歌え。立琴と歌の調べに合わせて。ラッパと角笛の音に合わせて、主である王の御前で喜び叫べ。海と、それに満ちているもの。世界と、その中に住むものよ。鳴りとどろけ。もろもろの川よ。手を打ち鳴らせ。山々も、こぞって主の御前で喜び歌え。確かに、主は地をさばくために来られる。主は義をもって世界をさばき、公正をもって国々の民を、さばかれる。」
今日の詩篇は、全世界の創造主であり、支配者である主に対する賛美と喜びを捧げる賛歌です。詩篇は、祈りの型に関して多くのことを教えてくれます。聖書の他の書は、おもに神のことばを私たちに伝えているのに対して、詩篇は私たちの言葉を神に返す手本です。ユダヤ人も、イエス様も、初代教会も、詩篇を祈りの書として用いてきました。150篇ある詩篇は、一語一句そのまま祈ることも出来ます。あるいは、祈りのパターンとして、自分のことばで祈ることも出来ます。私たちが経験する、ありとあらゆる感情――喜び、感謝、フラストレーション、怒り、妬み、嘆き、罪悪感、赦し、信頼、希望――を詩篇は表現しています。あるひとが、詩篇のことを『魂の汚水処理場』と表現しています。つまり、私たちが持っているあらゆる感情を詩篇にぶつけることができ、その後いくぶん浄化されたように感じるからです。詩篇は、神に正直な言葉で表現することを教えてくれます。それは神様との関係を成長させるために必要不可欠なことです。心のうちにあることを祈るのは祈りの出発点です(賢者の生活リズムより)。
清宣教師