8章は、前半の1章から7章のクライマックスであり、箴言全体の中心部であると言われています。
初代教会では、この中に登場する「知恵」は、キリストにおいて受肉したロゴス(ヨハネの福音書1章1節、14節で、ことばと訳されている)であると理解されていました。
8章は、次の4つの段落に別れており、それぞれの小見出しをつけると以下のようになります。
1節‐11節が、知恵の呼びかけ。
12節―21節が、知恵の自賛。
22節―31節が、万物の創造と共にあった知恵。
32節―36節が、知恵の結びの訴え。
この中で、22節―31節は、父なる神の天地創造のみわざに参画した御子の働きが描かれています。
御父と御子と御霊の三位一体の神は、天地創造のみわざにおいて、はじめから協力しておられました。
ここでは、御子は「わたし」として表現されています。
「主は、その働きを始める前から、そのみわざの初めから、わたしを得ておられた。大昔から、初めから、大地の始まりから、わたしは立てられた。深淵もまだなく、水のみなぎる源もなかったとき、わたしはすでに生まれていた。山が立てられる前に、丘より先に、わたしはすでに生まれていた。神がまだ地も野原も、この世の最初のちりも造られなかったときに。神が天を堅く立て、深淵の面に円を描かれたとき、わたしはそこにいた。神が上のほうに大空を固め、深淵の源を堅く定め、海にその境界を置き、水がその境を越えないようにし、地の基を定められたとき、わたしは神のかたわらで、これを組み立てる者であった。わたしは毎日喜び、いつも御前で楽しみ、神の地、この世界で楽しみ、人の子らを喜んだ。」
御子イエス様は、創造の1日1日を、御父と共に楽しんでおられたのです。
今日は、秋晴れの清々しい(すがすがしい)日です。
御父と御子と御霊の三位一体の神さが創造されたこの世界を楽しみましょう。
清宣教師