昨日のユダの手紙ですが、著者は自分のことを「ヤコブの兄弟であるユダ」として、自己紹介をしています(1節)。新約聖書には、ユダという名前の人は数名、出てきます。裏切り者のイスカリオテのユダもいました。ここでは、ヤコブの兄弟とあります。ヤコブとは、エルサレム教会の指導者であったヤコブと考えられます。ヤコブは、イエスの兄弟(弟)であり、イエスの公生涯においてはイエスを信じていませんでしたが、イエスの復活後、回心しました。イエスの兄弟(弟)ユダもまた、イエスの公生涯においてはイエスを信じておりませんでした。しかし、イエスの復活後、ヤコブ同様に、回心して、イエスを救い主として信じ受け入れた人物です。しかし、ユダは、自己紹介の中で、「イエスの兄弟」とは記しませんでした。おそらく、回心したユダにとっては、「イエスの兄弟」という名誉ある肩書ではなく、イエスは、兄弟以上の存在であり、じぶんはそのしもべに過ぎないという自覚があったのだろうと思われます。ただ、ユダヤ地方の教会に、使徒ではないユダが、この手紙を書くにあたり、エルサレム教会の指導者であるヤコブと自分との関係を明らかにする必要があったのだと思われます。
イエス様の地上での生涯の期間には、イエス様を信じられなかったイエス様の弟たちが、イエス様の死後、イエス様を信じるようになったということは、私たちにとって励ましですね。私たちがクリスチャンとして生きるときに、残された未信者の家族が救われる道が残されているということです。ともかく、私たちは、いま置かれたところで、クリスチャンとして、イエス様にある人生を送ることです。主が、私たちの家族、親戚、知人、友人たちを覚えて下さいますように。
清宣教師