出エジプト記も最後の章となりました。きょうの40章1節~33節では、いよいよ、準備が整い、エジプトを出てから2年目の第1の月の第1日に、幕屋が建てられました。ただし、この建物は幕屋であり、あくまでも、移動式のものでした。会見の天幕(至聖所、聖所)が建てられ、その中に、契約の箱(あかしの箱)、香檀、燭台、供えのパンの机などがセットされました。会見の天幕の外庭には、洗盤、祭壇が設置されました。また、外庭の周囲も幕で囲いました。それから、すべての器具が油注ぎによって聖別されました。それから、大祭司や祭司が油注ぎを受けて、さらに、洗盤で手と足を洗い、会見の天幕での奉仕にあたることになりました。
34節~37節では、一切が整えられた時、会見の天幕は主の栄光で満たされました。その栄光のゆえに、モーセも天幕に入ることが出来ないほどでした。こうして、主は、この会見の天幕をご自分の栄光をもって祝福して下さいました。これ以後、イスラエルの民は、荒野での旅の間、ずっと、神と共に歩むことになりました。天幕の上に主の栄光の雲が留まっている間は、民たちも留まっていました。天幕の上から主の栄光の雲が上ると民たちも出発しました。昼は主が雲の柱として、夜は主が火の柱として、民たちを共に歩まれました。
主の教会も、荒野の中を、主と共に前進していきます。主イエス様は、弟子たちに宣言されました。「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイの福音書、28章20節下)。
きょう、出エジプト記を終わりましたが、出エジプトの出来事は、イスラエルの民にとって、新しい歴史のスタートでもありました。主のみわざが著しく表れた時でもありました。そして、今日の幕屋の完成式では、主の栄光が目に見える形で、圧倒的な栄光で現われました。しかし、このあとのイスラエルの民たちの歩み、イスラエルの建国の歴史は、残念ながら、この出エジプトの恵みを忘れるような歩みでした。私たちも、主イエス様を信じて、バプテスマを受けました。そして、今があります。最初の感動が薄れていくとき、私たちの歩みもいい加減なものになってしまいます。初めの愛に立ち返りましょう。主よ。私たちを、初めの愛に立ち返らせてください。
清宣教師