きょうの5章には、イスラエルの長子であったルベン族の系図が記されています(1節~10節)。次に、ガド族の系図(11節~17節)が記されています。最後にマナセの半部族の系図(23節~24節)が記されています。これらの部族は、ヨルダン川の東側に相続地をもっていた部族です。これらの2部族半は、最初は、お互いにひとつとなり、主なる神に呼ばわり、神により頼んだので、敵に対して大勝利をおさめることが出来ました。しかし、時が経つにつれて、これら2部族半は、異教の偶像の神々を慕い求めるようになり、遂に、主によって裁きを受けて滅びることになるのです。ルベン族は、紀元前11世紀にモアブによって滅ぼされました。ガド族は、紀元前722年、アッシリヤによって取り去られてしまいました。マナセ族もまた、紀元前722年、滅ぼされてしまいました。残念ですが、最初は主に堅くより頼み、祝福を受けて平安と繁栄をいただくのですが、そのあと、高慢になり、主に背を向けて生きるようになり、結局、主の裁きを受けて滅びてしまうのです。この歴代誌が記された当時、つまり、バビロン捕囚から帰還した民たちの中には、ルベン族やガド族やマナセ族の人たちは、ごくごく、少数であったと推測されます。その人たちに対して、高ぶりを戒め、へりくだって主に拠り頼むようにとのメッセージが含まれていると思われます。
私たちも、入学や就職など、あるいは転勤などにより、他の地に移ることがあります。そのとき、自信過剰になり、教会生活を二の次にすると、思わぬところで信仰から離れてしまうことがあります。まず、神の国と神の義を求めよ、と言われています。信仰の維持は、自分だけで出来るわけではありません。牧師など、霊的な指導者、理解ある信仰の兄弟姉妹たちの助けが必要です。へりくだり、信仰の維持、そして成長のために、最適の場所を選んで住むことが大切です。経済的なことを第1にするのではなく、主を第1とする時に、経済的にも主によって守られます。これが、出エジプト以来、バビロン捕囚からの帰還までのイスラエルの歴史をみて、教えられることのひとつです。もし迷いがあるなら、主を第1として決断しましょう。「恐れてはならない、わたしがあなたと共にある」。
清宣教師