今日の内容は、ひとことで、「イスラエルの回復」です。26章では、終末における主の裁きは、真の神を否定する諸国に及ぶことが預言されました。一方、イスラエルも、その不従順のゆえに罰せられますが、恵みにより回復が与えられます。27章のテーマは、イスラエルの回復です。1節―6節:神の民の赦し。7節―11節:懲らしめ。12節―13節:回復となっています。
まず、1節で、巨大な動物、レビヤタンは、逃げ惑う蛇とも表現されていますから、強大な国家を陰であやつるサタンを指していると思われます。主は強大な諸国も、背後にあるサタンも、完全に滅ぼされます。うるわしい葡萄畑であるイスラエルは、祝福されて、成熟して、豊かな実を結び、全世界に満ちあふれることが預言されています(1~6節)。次に、7節ですが、解釈が難しいと言われています。確かにイスラエルは、その不従順のゆえに、主の裁きをうけて、外国に支配され、また、捕囚の民となるなど、厳しい裁きをうけたとはいえ、他の民のような完全な滅びには至らず、あわれみを受けたことを覚えるように諭されています(7節)。だから、偶像礼拝を捨てて立ち返るように命じられています(9節)。10節の「城壁のある町」はエルサレムを指しています。かつては神の町として栄えていたにも関わらず、偶像礼拝の町となり、廃墟となってしまったエルサレムです。その原因は、イスラエルの民が、「悟りのない民」だからでした(11節)。それゆえ、イスラエルの民の高慢が打ち砕かれるまでは、神のあわれみは、差し控えられたのです(7~11節)。ユーフラテス川からエジプト川まで(12節、主がアブラハムに約束されたイスラエルの領土)に住むイスラエルの残りの民は、ひとりひとり、大事に拾いあげられます(12節)。そして、遠くの地に散らされていた神の民が、神のあわれみにより、悔い改め、罪の赦しが与えられて集められ、主を礼拝するエルサレムに来るようになるのです。この預言は、終末の時代に成就すると思われます。異邦人も、ユダヤ人もみな、救われるのです。(ローマ人への手紙11章25節、26節参照)(12~13節)。
今日の聖書箇所から教えられることは、いま、終末の時代、これらの預言が成就しています。メシヤニック・ジューの人たちは、救い主であるイエスをメシヤと認めて、主に立ち返っています。BFPの働き、メシヤニックジューの働き、すべての働きが用いられて、イスラエルの民が、創造主であり、贖い主であるイエス・キリストのもとに立ち返りますように、祈ります。
清宣教師