さて、アモス書の2章ですが、イスラエルと周辺諸国に対する罪と裁きの宣告です。1節―3節は、モアブの罪に対する裁きの宣告。4節―5節は、ユダの罪に対する裁きの宣告。6節―16節は、イスラエルの罪に対する裁きの宣告です。もともと、アモスは、南ユダの人でしたが、北イスラエルに遣わされました。ですから、最後の北イスラエルに対する罪と裁きの宣告が主体であり、分量も多くなっています。なぜ、神の民である北イスラエルは、堕落して、背教の道をたどったのでしょうか?エジプトの奴隷の状態から救出されて、荒野で40年間、訓練を受けました。そこで、神のみことばである律法、諭し、教えのことばをいただきました。しかし、生活が安定するにつれて、周辺の諸国の影響を受けるようになりました。周辺の諸国のように、王が欲しい、偶像が欲しい、自由が欲しい、・・・そして、周辺諸国と本質的に同様の生き方をするようになりました。ただ、主を礼拝しているという外面的な形式、主の民であるというプライドだけが残りました。本質は、すべて、失われてしまったのです。きょう、私たちは、内面的に、主を愛し、主を信頼する生き方こそ、大事であることを教えられます。イエス・キリストこそ、道であり、真理であり、いのちです。主はブドウの樹、私たちはその枝です。以上です。
清宣教師