さて、アモス書に入りました。書名の由来は、1章1節にありますが、この書を記したアモスの名によるものです。アモスの名前はこの書以外に出てきません。唯一、アモス書の中でアモスがどんな時代に生き、どんな人物であったかを知ることが出来ます。アモスとは、ヘブル語で「重荷」を意味する名前です。ユダの王ウジヤの時代、北イスラエルのヤロブアム2世の時代です。ウジヤ王の時代に、大きな地震がありましたが、それはゼカリヤ書14章5節にも、「ユダの王ウジヤの時、地震を避けて逃げたように」と記されています。その地震は紀元前760年に起こりました。その2年前と言いますから、紀元前762年と思われます。テコアは、南ユダの地のエルサレムの南方約20キロメートルのところにありました。アモスは南ユダのテコアの地で、イチジク桑の栽培をしながら、羊を飼っていた牧者のひとりでした(アモス書7章14節―15節)。しかし、主の召命をうけて、北イスラエルに遣わされたのです。それは非常に危険な使命でした(7章10節―17節)。1章3節~15節では、「○○の犯した3つの背きの罪、4つの背きの罪のために」という表現が繰り返されます。これは、知恵文学の箴言でも見られた表現でした。3つ、いや4つという表現により、数多くの罪があることを表現しています。実際に3つ、あるいは4つの罪が記されているわけではありません。3節―5節はアラムに対する裁きの宣告(ダマスコはアラムの首都)。6節―8節はペリシテに対する裁きの宣告(ガザはペリシテの5大都市のひとつ、ペリシテの都市同盟の代表がガザ)。9節―10節はフェニキア人に対する裁き(ツロはフェニキアの代表都市)。11節―12節はエドムに対する裁き。13節―15節はアモン人に対する裁き。以上ですが、アモスは、預言者でもなく、祭司でもなく、桑を栽培する者でした。しかし、主に召されて重荷を与えられました。私たちも、地の塩、世の光として、主の召しをうけています。主よ。私たちを導いてください。主よ。幻を与えてください。主よ。御言葉を与えてください。
清宣教師