エゼキエルは、続いて、北側の建物に案内されました(1節~14節)。その建物は本堂と外庭の間にあって外側のほうにも入り口があり、外庭からも内庭からも中に入れるようになっていました。内庭や聖所で奉仕する祭司たちは、通常、その入り口をつかって出入りしていたようです。エゼキエル自身も、外庭からその入り口を通ってその建物に入りました。その建物は長さが100キュビト、幅50キュビトという大きな部屋でした。その部屋は祭司たちが食事をする食堂でした。建物は3階建てで、回廊式の階段がついていました。2階の部屋は1階の部屋より狭く、3階の部屋はさらに2階の部屋よりも狭くなっていました。おそらく、2階や3階の一部は、バルコニーあるいはギャラリーとなっていたようです。この建物と本堂とは幅20キュビトの庭で隔てられていました。次に、長さ100キュビトと長さ50キュビトの二つの棟があり(8節)、その庭に面した小さい方の棟は、祭司たちが外庭からはいる時、また、外庭に出る時に服を着替える更衣室であったと考えられます。このふたつの棟の間には、幅10キュビト、長さ100キュビトの通路が通っていました。本堂の南側にも同じサイズの建物がありました。祭司のための部屋です。これらの部屋は、「最も聖なるささげもの」を食べるための場所でした。また、保管する場所でもありました。「最も聖なる捧げ物」とは、祭司たちの家族も食べることが出来る「聖なる捧げ物」とは違って、祭司だけが、しかも聖域の中でのみ食べることが許された捧げ物のことです。穀物の捧げ物、罪のためのいけにえ、罪過のためのいけになどが、それに相当します。祭司たちは、イスラエルの礼拝者たちが主に捧げた捧げ物を、主の分と見なされる記念の部分を除いて、食べることを許されていました。礼拝者たちが捧げものを直接ではなく、祭司たちを通して主に捧げるのですが、祭司はそれを受け取ると、いったん主に捧げ、主から分かちあっていただくという形でそを食べることになっていました。つまり、祭司が捧げ物を食べるということは、主の食卓に連なり、主と共に食事をするという意味が込められていました。ですから、このような食事は、聖い場所でしなければなりませんでした。新約聖書では、主の食卓にあずかる儀式として「主の晩餐」があります。「自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい」と指示されています。祭司たちが、聖なる服を着たように、新約聖書では、「子羊の血で洗われた白い衣」あるいは、「義と聖をもって神にかたどり造りだされた、新しい人」を着て、パンと杯にあずかるのです。エゼキエルが神殿を一回りすると、御使いは、エゼキエルを最初に入ってきた外庭の東門に連れて行き、神殿全体の周囲をはかってみせました。神殿全体は正方形であり、東西南北、500さおでした。この外壁が聖なるものと俗なるものを区別するものでした。聖なる神殿と世俗の社会を区別する境界線でした(15節~20節)。ところで、昨日も記しましたが、40章から42章までの箇所を繰り返して読んでも、なかなか、具体的なイメージが浮かびません。それで、参考資料が欲しい方は、このメールに返信して下さい。エゼキエルが見た神殿、内庭と外庭の門、神殿の本堂などに関する図をコピーして、週報ボックスにお入れします。
清宣教師