①ユダの自殺(1節~10節):ユダヤ人の指導者たちは、イエスを死刑にするために正式に議会を開いて協議しました。死刑を執行する権限は、ローマの総督が握っていました。それで、ユダヤ人の指導者たちは、議会において死刑を決議し、イエスを縛って、総督ピラトのもとに連行しました。それを知ったユダは自分のしたことを悔いて、銀貨30枚を祭司長や長老たちに返しました。その後、首をつって自殺しました。祭司たちは、預言されていたように、この血の代価をもって陶器師の畑を買いました(エレミヤ書32章6節~9節、ゼカリヤ書11章12節、13節参照)。同じ弟子の仲間のペテロも、主イエスを裏切る罪を犯しましたが、ペテロの場合は、その罪を悔い改めて神のもとに立ち返りました(ルカの福音書22章54節~62節、ヨハネの福音書21章15節~17節参照)。しかし、ユダの場合は、立ち返ることをしませんでした(マタイの福音書27章5節)。
②ピラトによる裁判(11節~26節):通常はカイザリヤに駐屯していた総督ピラトですが、この過ぎ越しの祭の時期には、全国各地からユダヤ人たちが集まって来るので、大規模な暴動が起こるのを未然に防ぐため、総督はエルサレムに来て、警戒にあたっていました。そういうわけで、議会から引き渡されたイエスは、エルサレムにいるピラトのもとで裁判をうけることになりました。総督ピラトがイエスを尋問してみると、死に相当する罪を見出すことは出来なかったので、どうにかして赦免したいという思いがあったようです。なぜなら、ユダヤ人たちの指導者がイエスを捕縛したのは、妬みからであることに気付いたからです。そこで、過ぎ越しの祭の慣例として、ユダヤ人が望む罪人をひとりだけ赦免する制度があったので、ピラトは民衆に対して、大悪人として知られるバラバとイエスを民衆の前に連れ出して、どちらを赦免して欲しいのか、と訴えました。ピラトとしては当然、民衆たちはイエスを赦免して欲しいとねがうものと考えていました。ところが、祭司長たちが民衆を扇動して、イエスを十字架につけるように、ピラトに要求したのです。暴動になりかねなかったので、ピラトは保身のため、イエスを死刑にすることに同意しました。そして、イエスを十字架につけるために兵士たちに引き渡しました。
③イエスの十字架(27節~56節):総督の兵士たちは、イエスをさんざん嘲笑し、痛めつけた後、十字架につけるために処刑場へと連れ出しました。十字架刑とはローマ帝国が、最大の苦痛を与えて罪人を処刑するために考案した死刑の方法です。反逆者や殺人鬼と同じような扱いで、イエスを処刑することにしたのです。世界の歴史において、代々の支配者たちは、クリスチャンたちをこの世から排除しようとして、過酷な仕打ちをしてきました。昔の日本でも同様のことを行いました。また、現代においても、隣の中国や北朝鮮では、クリスチャンに対して、犯罪者のような扱いをしています。しかし、イエス様は天の父なる神に委ねて、神のご計画の通りに黙々として耐えられました(へブル人への手紙、12章2節参照)。最後に、大声で「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました。これは詩篇に予告された叫びでした。イエス様は全人類の代表として、この叫びを父なる神に叫ばれたのです。そして、最後にもう一度大声で叫び、息を引き取られたのでした。4つの福音書を調べてみますと、イエス様は十字架の上で、7つのことばを語られたことが知られています。イエスが息を引き取られた時、エルサレムの神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けました。このことはイエス様の十字架の贖いの死が、至聖所(神の臨在の場所)と聖所(祭司たちが礼拝を捧げる場所)を隔てる仕切りの幕が取り除かれて、贖われた人々が聖なる神の臨在の前に出ることが許されたことを象徴する出来事でした。こうして、眠っていた聖徒たちの一部の人たちが、復活したのでした。これらのすべての出来事を現場の処刑の責任者として見ていたローマの百人隊長と見張りをしていた者たちは、恐れを感じ、「この方はまことに神の子であった」と告白したのです。
④イエスの埋葬(57節~66節):夕方になり、ユダヤ人のサンヘドリンの議会の議員でもあったアリマタヤのヨセフという者が、イエス様の遺体を引き取りたいと、総督ピラトに申し出ました。そこで、ピラトは遺体を引き渡すことを許可したので、アリマタヤのヨセフは、近くにある新しい墓に、イエス様の遺体を葬りました。ピラトは、祭司長たちの要請で、ローマの兵士たちを派遣して、イエスを葬った墓の入り口の石に封印をして番をさせ、誰も墓の遺体を取り出すことが出来ないように処置しました。こうして、夕が来て、安息日を迎えました。以上です。
今日も、次のことばを心に留めましょう。「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。(へブル人への手紙12章2節)」。
清宣教師