きょうから、「使徒の働き」1章に入りました。「使徒の働き」は、前は、「使徒行伝」と呼ばれていました。著者はルカです。使徒の働きはルカの福音書の続編です。1章1節に、「前の書で、イエスが行い始め、教え始められた全てのことについて書き」と記されています。また、これは、テオピロという人物のために書かれたことが記されています。ルカは医者であったことが知られています。また、使徒の働きの中で、「私たち」という表現が、4つの場面で記されていますので、どうやら、ルカもパウロたちと一緒に宣教旅行に参加したことがあるようです。さて、「使徒の働き」と言う書名ですが、実際には、二人の使徒に焦点が当てられています。前半はユダヤ人伝道の推進役である使徒ペテロ、後半は異邦人伝道の推進役を担う使徒パウロです。使徒全員の働きの記録ではありません。1章8節のみことばのように、エルサレムから始まり、ユダヤ、そして、小アジア、さらに、地の果て(ローマ)までの宣教が記されています。使徒の働きが書かれたのは、紀元61年から64年の間であろうと言われています。皇帝ネロが支配する少し前の頃です。

さて、1章のポイントは、1章4節に記されているように、「エルサレムを離れないで、私から聞いた父の約束を待ちなさい」でした。エルサレムは居心地の悪い場所でした。たえず、官憲の目が光っている危険な場所でした。しかし、弟子たちが、そこに留まることが神様の御計画でした。そこで、弟子たちはみなで集まり、心をひとつにして祈り続けました。私たちにとって、待つということは容易ではありません。待つことは、時間の無駄のように感じられ、あるいは、空しく感じられるものです。また、それは、いらつき、恐れ、不快、不安をもたらすものです。しかし、神のご計画は弟子たちが祈って待つことでした。私たちにとって待つことは、何ももたらさないように感じます。しかし、胎内の赤ちゃんは、出産まで何カ月も待つ必要があります。目には見えませんが、母胎の中で育っているのです。あるいは、桜の木を思い出しましょう。冬の中、桜の木は、ただ、寒さにじっと耐えるだけのように感じます。しかし、目には見えませんが、その寒さの中で、開花ホルモンが生産され、蓄積されて、春の訪れとともに一斉に開花するのです。私たちも、エルサレム(弟子たちにとって、居心地の悪い所、糾弾する者の目が光っている所)で、一致して祈り、待つときに、神様の御計画が成就するのです。エルサレムは、出発点です。「聖霊があなたがたの上に臨まれる時、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てまで、わたしの証人となります」(1章8節)。目には見えませんが、祈るときに、神の約束の実現が、一歩、一歩、近づいているのです。途中で断念しないで、祈り続けましょう。だから、祈りの仲間が必要です。忍耐して祈り続けることが出来ますように、上から主が力を与えてくださいますように。家族の救い、夫婦関係の回復、家族関係の回復、人間関係の回復、神の家族の形成、魂の収穫、リバイバル、原発ゼロ、・・・・どれも、これも、忍耐を要するものばかりです。主よ。私たちに、祈りの実現の向こうに見える希望と喜びを見せてください。イエス様が、十字架の向こうに、永遠の救いを得た人たちの笑顔をご覧になって耐えられたように、私たちにも、いま直面している苦しみの向こうに、回復の喜びの姿を見ることが出来るように、ビジョンを与えてください。

清宣教師