いよいよ、コリント人への手紙第1も最後の章となりました。1節―4節では、献金のことを取り扱っております。パウロとしてはユダヤ人も異邦人も、同じ神の家族の一員として、具体的に支え合う機会として、エルサレムの貧しい兄弟たちを助けるための献金を企画していました。それで、週の初めの日に、収入に応じて、献金をしてたくわえておき、パウロがコリントについたときに、あわてて集めるのではなく、手許に準備しておくようにとの指示でした。5節―9節では、パウロのコリント訪問の予定について、あらかじめ、知らせています。パウロがこの手紙を書いたと思われるエペソを発つのは、エペソでの宣教の働きが一段落する五旬節が過ぎてからのことであり、マケドニヤを通って、コリントに滞在し、そこで、次の冬を過ごすかもしれないと述べています。3年間のエペソでの滞在では、宣教の門が大きく開かれていましたが、同時に、反対者も大勢いたのです。パウロは、小アジアの中核拠点としてのエペソの教会を堅固なものとして建てあげるために、予定を延長して、そこに留まり続ける必要が在ったのです。10節―12節では、テモテとアポロの二人を推薦しています。若い弟子であるテモテのために、「だれも彼を軽んじてはいけません」と述べて、テモテがコリントにおいて、心配なく過ごせるように配慮しています。アポロについても、コリントに行くように、強く勧めましたが、アポロは行かないと心を決めているようであると、報告しています。おそらく、コリントの教会では、「わたしはパウロに」、「わたしはアポロに」という教会内の紛争があり、いまは、行くべき時ではないと、アポロは考えていたと思われます。13節―14節では、短い勧めをしています。「①目を覚ましていなさい。②堅く信仰に立ちなさい。③男らしく、④強くありなさい。⑤一切のことを愛をもって行いなさい」と5つのことを勧めています。コリントのような道徳的に退廃している環境では、クリスチャンはみな、誘惑に陥らないように目を覚ましている必要がありました。また、堅く信仰に立つ必要が在りました。脆弱ではなく、男らしく、強くある必要がありました。しかし、すべてのことは、愛をもって行うように細心の注意を払う必要があります。15節―18節は、ステパナたち3人が、コリント教会から送りだされてパウロのもとへ来たことを喜び、感謝の意を表しています。19節ー24節は、結びのことばであり、コリント教会に対する挨拶で締めくくっています。「主よ、来てください」は、アラム語で、「マラナ・タ」であり、初代教会の挨拶のかわりにつかわれていたと思われます。最後は祝祷で終わっています。コリントへの手紙は、まさに、パウロからの愛の手紙でした。パウロは手紙の中で、コリントの教会の人たちを責めたり、皮肉ったり、警告したりしていますが、それらはみな、パウロのコリント教会へのキリストにある愛のもたらすものでした。

清宣教師