今日の10章から12章までは、パウロの使徒としての権威について記されています。パウロが不在の間に、偽使徒たちがコリントの教会を横道に誘い込んでしまったようです。そして、パウロに対する個人攻撃もなされていたようです。その例が、1節に記されているように、コリントの教会の中で偽使徒たちは、パウロのことを「離れている時は手紙で強そうなことを言うが、面とむかうとおとなしく弱々しい」という批判です。あるいは、「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会った場合の彼は弱々しく、その話しぶりはなっていない。」(10節)などと公然と批判していたのでした。そのために、コリントの教会の兄弟姉妹は、パウロの使徒職に対して疑問をもつようになり、パウロの使徒としての権威を軽んじる風潮が出てきたようです。それで、パウロは、パウロを批判する者たちに対して警告を発しています。「私パウロは、キリストの柔和と寛容をもって、あなたがたにお勧めします。」(1節)。実際、パウロは、「私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。私たちの戦いの武器は、肉のものではなく、神の御前で、要塞を破るほどに力のあるものです。」(3節、4節)と述べています。しかし、その権威は、「あなたがたを倒すためではなく、立てるために主が私たちに授けられた権威」(8節)であると、強調しています。そして、その権威を、主がパウロに与えて下さっていることを明らかにしようとしています。また、パウロが心がけていたことは、出来るだけ、他の働き人が手をつけていない未伝の地に、福音を伝える働きでした。つまり、偽使徒たちがパウロが開拓したコリントの教会の実を奪おうとしていたように、他の伝道者が開拓した教会の実を横取りするようなものではないことを明らかにしています。そして、パウロがコリントの地域で教会を設立した目的は、さらに西方の未伝の地域に福音の宣教をするための拠点づくりでした。パウロは、自分自身の働きの目的は、ひたすら、福音を地の果てにまで伝えることであり、コリントの教会から金銭を奪い取ることではないこと、それらの一切を明らかに証明して下さるのは、神ご自身です。しかし、コリントの教会が、偽使徒たちの間違った教えによって、横道にそれないように、パウロはここで、偽使徒たちの主張が偽りであり、パウロ自身の権威が神からのものであることを明らかにする必要に迫られて、11章、12章で、パウロの使徒としての正統性を主張しています。

清宣教師