1節の「測りさお」とは、植物の葦を切って、「ものさし」としたものです。正しい基準(カノン)を意味しています。「神の聖所」とは、地上のエルサレムの神殿です。ところで、ヨハネが黙示録を書いた当時のエルサレムの神殿は、どのような状態だったでしょうか?すでに、紀元後70年、エルサレムの神殿の建物はローマ軍によって完全に破壊されていました。ですから、実際にはエルサレムには神殿の建物はありませんでした。今も、エルサレムには神殿はありません。いま、そこには岩のドーム(黄金のドーム)というイスラムの寺院が建っています。ですから、この神殿は、これから建てられる第3神殿のことのようです。およそ2千年にわたってエルサレムに主の神殿は存在しませんでした。しかし、驚くべきことに、1948年、イスラエル共和国が誕生しました。そして、いま、イスラエルの中では、神殿再建の話が持ち上がっています。現在、イスラム教の岩のドームがあるところに至聖所があったとする説と、岩のドームの北側にあったとする説があります。後者の説が正しければ、神殿を建てるスペースはすでに確保されていることになり、第3神殿は岩のドームと並んで建つことになります。そうなると、「聖所の庭は、異邦人に与えられる」という預言の通りになります。いま、終末時代の時計は動き始めているのです。主の神殿が、エルサレムに再建される時、確実に、再臨と大患難時代は近づいているという証拠です。2節で、「聖所の外の庭は異邦人にあたえられているゆえ、そのままに差し置きなさい」と言われています。異邦人に踏み荒らされている期間は42か月です。42月×30日で、日数としては、1260日となります(3節)。年数で言えば、3年半(3年と6か月)になります。3節と4節のふたりの証人とは誰でしょうか?いくつかの説があります。「二本のオリーブの木、また二つの燭台である」という表現ですが、旧約聖書のゼカリヤ書4章11節~14節に預言されていることと思われます。この二人とは、6節の描写から、エリヤとモーセと考える解釈があります。あるいは、エリヤのような人、モーセのような人と解釈する人がいます。あるいは、死なないで天に上げられたエノクとエリヤのふたりであり、7節で、二人は死ぬと書いてあるので、この地上で死んで、天に上げられると考える解釈もあります。特定することは難しいです。それはそれとして、この二人はエルサレムにおいて、ものすごい力ある働きをしますが、底知れぬところから上ってくる獣が二人を殺します(7節)。この獣は、サタンそのものと解釈する人と、反キリスト(サタンが背後であやつる人物)と解釈するひとがいます。いずれにせよ、二人の神の証人は、この獣によってエルサレムの大きな都の中で殺されて、その死体は公衆の面前にさらし者にされます。ここではエルサレムのことがソドムやエジプトと呼ばれる大きな都(8節)と呼ばれていますが、聖書の他の個所ではこのように呼ばれたことはありません。しかし、ここでは主の証人ふたりが殺されたことで、このようなソドムやエジプトの名で呼ばれていると考えられます。全世界の人々が、その死体を眺めます。百年前には、これは荒唐無稽の話でしたが、今では、現実のことです。つまり、エルサレムの出来事が全世界の人々に、衛星によるライブ中継として伝えられ、人々は3日半、テレビを見続けるのです(9節)。二人の証人の死体は墓に納められず、辱めをうけます。このような出来事がおこった時、地に住む人たちは、これまでの天災が二人の仕業であるとして、もはや天災はなくなると思って、全世界でお祝いするのです(10節)。しかし、3日半のあと、この二人の神の証人が、息を吹き返して立ち上がるのです。テレビのライブ中継にくぎ付けになっていた人たちに大きな恐怖が走ります(11節)。そのとき、大きな声が天からあり、「ここに上れ」という音声が聞こえてきます。そして、二人の証人は、雲に包まれて、天に上って行くのです。すべてはライブ中継で全世界に伝えられます(12節)。そして、大地震が起こり、エルサレムの都の10分の1が倒れ、7千人が死亡します。生き残った者たちはあまりにも恐ろしいことが起こったので、悔い改めに導かれて、天の神をあがめるようになります(13節)。そして、第7の御使いがラッパを吹き鳴らしました。すると、天に大きな声がしました(15節)。24人の長老たちがひれ伏して神を礼拝します。そして、勝利を宣言します(16節~17節)。まだ、地上では、神の審判と災いが連続して起こりますが、天ではすでに、勝利が確定したのです。そして、天の神殿が開かれました(19節)。ここで大患難時代の前半(3年半)が終わります。12章以降、大患難時代の後半に向かって進んで行きます。

清宣教師