1節に素晴らしいことが記されています。「あなたとあなたの全家族とは、箱船(救い)に入りなさい。」と主は言われました。イエス様は、私たちを家族の中で救って下さいましたが、ひとりぼっちではなく、私たちの全家族のことも心配してくださるお方です。心配とは心を配られるということです。ですから、私たちも、私たちの全家族のことを覚えて、忍耐しつつ、救いのために祈り続けたいと思います。さて、6章9節の表題のことですが、前からお話ししていますが、これは5章1節の後半から6章8節までの表題(尾題)ですね。では、6章8節後半からの表題はどこに記されているのでしょうか? それは10章1節に記されています。「これはノアの息子、セム、ハム、ヤペテの歴史である。」つまり、6章8節後半~9章29節までの内容の表題です。確かに、読んで行くと分りますが、ここにはノアの息子、セム、ハム、ヤペテの歴史が記録されています。7章に戻りますが、16 節で、箱船の戸を閉ざされたのは、主ご自身です。ノアではありませんでした。人間が裁きの時を決めるのではありません。それは全ての生き物、すべてのいのちあるものを造られた主が、お決めになることです。恵みと憐みの期間も、必ず、ここまでという救いの扉が閉じられる時がきます。この船には、進路を決める舵はなく、動力となる漕ぎ手も、帆もありませんでした。すべては、神のみこころのままに、委ねられていました。しかし、その中にも、さまざまな安全な設計がなされていました。20 節には、「すべての山の上、15キュビト増し加わった」と記されていますが、この15キュビトとは、何を意味しているのでしょうか?それはノアの箱船の高さが30キュビトであったこと(6章15節)と関係があります。箱船の喫水線というのでしょうか、水面と接する線がどの辺に来るのかと関係があります。船底から喫水線まで最大15キュビトであったようです。つまり、箱船が水に浮かんだ時、船底が山の頂上などに衝突することがない水深があったということです。箱船が座礁しないための配慮でした。主の御計画は完璧です。他方、箱船の大きさは、長さが300キュビト、幅が50キュビト、高さが30キュビトでした(6章15節)。現代のメートル法では、長さが132m、幅が22m、高さが13.2mに相当します。この長さと幅の比率は、研究によると、大波でも転覆しない理想的な比率(黄金比)であると言われています。これはノアの設計でなく、全能なる神様の指示によるものでした(6章14、15節)。さて、全世界的な大洪水は、どのようにして起こったのでしょうか? まず、巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂けたことです(11節)。これは、地下の水のことです。今でも地下ダムがあることが知られています。まず、地が裂けて、地下からとてつもない水の量が噴き出してきたことです。第2に、雨でした。40日40夜降り続きました(12節)。創造論の学者の計算によると、40日40夜の雨の量は、大洪水の全体の5%くらいであり、あとの95%は、すべて、地下から噴き出した巨大な水の源に由来する水であると推定しています。1節で、主は、ノアについて、「この時代にあって、わたしの前に正しいのを見た」と言われました。私たちの時代も、ある意味、誘惑が多く最悪の時代になっているかも知れません。しかし、主がご覧になるのは、この時代ではなく、私たちひとりひとりの生き方です。主は私たちひとりひとりの生き方を見ておられます。

最後に補足しますが、ノアの時代は、全世界が大水で滅ぼされましたが、世の終わりに、もう一度、全世界的な裁きがあります。それは火による裁きです。ペテロの手紙、第2、3章3節から13節を読んでいただくと、詳細が記されています。私たち一人一人の生き方は、神の前では、大きな意味をもっています。ソドムの町が滅ぼされる前に、主は、ソドムの町に10人の正しい者たちがいるなら滅ぼさないと約束されました。私たちは、この地に置かれた地の塩です。きょうも、イエス様の似姿に造られた者として、みことばの土台に立ち、主を見上げて笑顔で過ごしましょう。

清宣教師