1節~6節:さて、33章ですが、主がモーセに対して、「あなたがたはうなじのこわい民であるから、わたしが途中であなたがたを断ち滅ぼすようなことがあるといけないから」と言われて、主ご自身ではなく、主の御使いを遣わすことにする、と仰せられました。それで、モーセが民たちにそのことを伝えると、民たちは悲しみと痛みのなかで悔い改め、飾り物を身に着けることを止めました。金の飾り物で子牛の偶像を作ったことから、民たちは、悔い改めのしるしとして、飾り物をつけることを止めたのだと思われます。聖書では、33章5節の主の命令が語られる前に、民たちが自発的に飾り物をはずしたように思われます。7節~11節:モーセは、宿営の外の会見の幕屋で、主との交わりをもっていたようです。「会見の天幕」と呼んでいました。モーセが天幕に入ると、主の臨在を象徴する雲の柱が天幕の入り口に立ちました。民たちもみな、おのおの自分の天幕の入り口で伏し拝み、礼拝しました。主は、人が自分の友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られました。イエス様も、しばしば荒野に退いて、父なる神様との交わりの時をもっておられました。ここにも、モーセがイエス様の型であることが示されています。31章で記しましたが、まさに、『日間(ひま)』を作るということですね。私たちにとっては、デボーションのときが、「会見の天幕」での主との交わりの時間と言えるかも知れません。
12節~17節:モーセは、主に対して、御使いではなく、主ご自身が約束の地まで共にいてくださることを求めています。「どうか、あなたの道を教えてください。そうすれば、私はあなたを知ることが出来、あなたの心にかなうようになれるでしょう」。かつて、主はモーセに対して『わたしは、あなたを名指して選び出した。あなたは特にわたしの心にかなっている』と言われたことを根拠に、主の再考を求めました。すると、主は「わたし自身がいっしょに行って、あなたを休ませよう」と約束されました。そこで、再び、モーセは主に嘆願しました。「もし、あなたご自身が一緒においでにならないなら、私たちをここから上らせないで下さい。・・・」。すると、主は「あなたの言ったそのことも、わたしはしよう。あなたはわたしの心にかない、あなたを名指して選び出したのだから」と言われました。こうして、モーセは、個人的な臨在の約束だけでなく(14節)、民たちの真ん中に臨在して下さるという約束(17節)を取り付けたのです。モーセの真のリーダーとしての姿がここにも示されています。
18節~23節:モーセはさらに、「あなたの栄光を私に見せて下さい」と願いました。しかし、神はモーセに答えられました。「あなたはわたしの顔を見ることはできない」。しかし、同時に、あなたが岩の裂け目に入り、主が通り過ぎる時、主の後ろ姿を見ることが出来るようにしよう、と約束されました。モーセにとっては、主の栄光を見たいというのが切なる願いでした。その願いを、主は、最大限に尊重されました。私たちは、主から、「わたしは、あなたを名指して選び出した。あなたは特にわたしの心にかなっている」と言われて、救いの中に召された者たちです。主は「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」とも言われました。
きょうも、1日、「どんなときも、主は私の力です」と、信仰を告白して歩み続けましょう。清宣教師