1節~6節:シナイ山のふもとで、モーセの帰りを待っていた民たちの中に、不安が広がりました。そして、彼らはアロンのもとへ行き、「さあ、私たちに先立って行く神を、造って下さい。私たちをエジプトの地から連れ上ったあのモーセという者がどうなったのか、私たちには分らないから」と訴えました。アロンは「モーセは必ず帰って来る」と言って彼らを説得することが出来たはずですが、アロン自身も不安があったのかも知れません。アロンは彼らの訴えに耳を貸しました。そして、民たちに、妻や息子や娘たちの金の耳輪をはずしてもってくるように言いました。そして、その金をもって、のみで型をつくり、鋳物の金の子牛を造りました。さらに、金の子牛のまえに祭壇を築いて、「あすは主への祭である」といって、主なる神を子牛という偶像に仕立て上げたのです。アロン自身の心の中では、主なる神を礼拝するのだから悪いことではない、という屁理屈があったのかも知れません。翌日、朝早く、民たちは全焼のいけにえを捧げ、和解のいけにえを供え、民は座って飲み食いし、立ってはたわむれました。そこには不道徳な姦淫の罪も伴っていたようです。こうして、早くも十戒の初めのふたつの戒めを破ったのでした。それでも、彼らには十戒を破っているという自覚はなかったようです。
7節~14節:さて、主はモーセにすぐ下山するように命じられました。また、この「うなじのこわい民」を滅ぼすと宣言されました。しかし、モーセは、必死になって、この「うなじのこわい民」たちのために主が燃える怒りをおさめ災いをくだすことを思いなおしてくださいと嘆願しました。それで、主は、その民に下すと言われた災い(裁き)を思いなおされました。こうして、モーセの執り成しにより、民は救われました。
15節~29節:モーセは、神ご自身の作である、2枚のあかしの板を手に持って、宿営に近づくと、歌や笑い声などが聞こえてきました。そして、宿営に着くと、金の子牛の偶像の前で踊ったり、乱痴気騒ぎをしている民たちを見ました。さすがに、モーセでも、神に対する明らかな反逆行為を見て、怒りが爆発しました。義憤でしょう。あの神の作である板を投げ捨てて砕いてしまいました。民たちは、この神の戒めを台無しにして、意味のないものとしてしまったからです。モーセは、彼らが作った金の子牛を粉々に砕き、水の上に撒き散らし、イスラエル人に飲ませました。それから、モーセがアロンを問い詰めると、アロンは自分の責任を回避して、民たちのせいにしてしまいました。アダムとエバが神の戒めを破って以来、人間は自己の罪を認めず、他人のせいにする性向が身についてしまったのです。モーセは、敵の物笑いになっているのを見て、イスラエルの民に「だれでも主につく者は、私の所に」と呼びかけました。するとレビ族の人たちが集まってきました。それで、レビ族に、今回の偶像礼拝を唆した首謀者や支持者たちを、剣で打つように命じました。レビ族は、忠実に、モーセの命令に従い、裁きを実行しました。
30節~35節:イスラエルの民たちが、この重大な罪を犯したあと、モーセは再び、神の前に行き、民たちの罪のために執り成しをすることを宣言しました。そして、モーセは自分のいのちと引き換えに、イスラエルの民たちの罪を赦してくださるように嘆願しました。「あなたの書物から、わたしの名を消し去って下さい」とは、モーセ自身の永遠の命を懸けての嘆願でした。そして、主はモーセの執り成しを受け入れました。ただし、「わたしの使いが、あなたの前を行く」と言われました。つまり、主ご自身が共に行くのではなく、主の使いが共に行くという変更でした。「あのモーセという者」と言って逆らった民、偶像を造らせた民でしたが、モーセはその民のために、いのちがけの執り成しの祈りをしました。モーセは最も柔和な人と言われることが分るように思います。そして、このモーセはやがて来たるべき救い主イエス様の型でした。イエス様はご自分のいのちをかけて、私たちを救って下さいました。主に感謝します。
きょう、恐れや不安から、主のみこころを損なうことがありませんように、主よ、私たちの心を平安によって満たしてください。落ち着いて、主に信頼します。清宣教師