ダビデは、一刻も早くソウル王の追跡の手を逃れなければなりませんでした。それで、サウルの見張りの目を逃れるために、何ももたずに来たので、途中、食料と武器を調達する必要に迫られました。そして、ノブの祭司アヒメレクのところに立ち寄りました。ただならぬ様子に祭司アヒメレクは、心配そうに、ダビデに尋ねました。「なぜ、おひとりで、だれもお供がいないのですか」。それで、ダビデはもっともらしい理屈をつけて、祭司アヒメレクを説得して、パンと、それから、武器(ゴリアテの剣)を手に入れました。そこで気になることは、サウルの牧者ドエグがいたことでした。そして、その日のうちに、ガテの王アキシュのもとへ行きました。ダビデは、サウルの敵のもとへ逃れることにより、安全を確保しようとしたのです。しかし、ここでは、アキシュの家来たちが、ダビデを見て、あの国の王ダビデではないか、と言い出したのです。すでに、ダビデの名声は広く敵の国までとどいており、しかも、ある意味、実質的に王として認知されていたのです。ダビデが自分の身分を隠していたのか、あるいは、自分の身を明らかにしたうえでアキシュのもとへ身を寄せようとしたのかは不明です。しかし、敵の家来たちに自分の身分を見破られて、ダビデは恐れに引きずり込まれました。そして、ここでも、自分を偽ることになりました。気が狂ったものであるかのように振舞いました。おそらく、とっさの判断だったのでしょうが、日ごろからサウル王の様子を見ていたダビデの迫真の演技は、アキシュを騙すことができました。アキシュは「この男は気が狂っている。なぜ、私のところに連れてきたのか」と言って、自分のところから追い出しました。
主を畏れるダビデにとっては、とてもつらい日々でした。あとで明らかになりますが、アヒメレクは、謀反の張本人であるダビデに、食料と武器を調達して逃亡を助けたという罪に問われて、一族郎党、サウル王によって処刑されてしまいます。もしも、あのとき、サウルの牧者であるドエグさえいなければ、こんなことにはならなかったのに、と考えさせられます。しかし、その考えを否定するかのように、聖書は「その日、そこにはサウルのしもべのひとりが主の前に引き止められていた」(7節)という文章をあえて、挿入しているのです。ダビデは、とにもかくにも、アヒメレクを納得させるような理屈をつけて、急場をしのぐことが当面の策でした。しかし、そのことは、サウル王に筒抜けになったのでした。聖書は、ことの良しあしをあえて記しませんが、その後の出来事の展開を通して、読者に判断を促す書き方をしています。一つ嘘をつくと、ふたつ、みっつと嘘をつかなければならなくなる、と良くいわれています。ダビデは、良く考えて行動しているつもりでしたが、結局、アキシュ王の前でも、相手を騙すことになりました。しかも、人の前で、涎をたらすような狂人の姿をさらしたのです。ダビデは、自分なりに良く考えて、急場をしのいだつもりですが、それは、主のみこころではなかったようです。無実の者たちに、被害を及ぼしてしまいました。
きょうの個所から、どんなに窮地に追い詰められても、主に頼ること、自分の考えで、うまく、嘘をついて窮地を乗り越えたとしても、他の人に著しい損害を及ぼす恐れがあることを教えられます。やはり、正直に、誠実にいきることが求められています。どんな場合にも、正直に、誠実に生きることができますように、聖霊様、知恵と力をあたえてください。主からの助けを信じて、待つことができる勇気を与えて下さい。
清宣教師