最悪の時代に、とんでもない偉大な預言者が、突如として登場しました。エリヤです。
どのくらい偉大な預言者であったかと言いますと、イエス様のご最期(十字架の贖罪の死)について、モーセと共にイエス様の相談にのったのが、エリヤでした(ルカの福音書9章28節~31節参照)。モーセは律法の代表者、エリヤは預言者の代表者として、イエス様の相談にのったと思われます。この預言者エリヤが登場したのは、イスラエルの歴史上最悪の暗黒時代の真っただ中でした。主の御計画は私たちには想定外です。しかし、考えて見れば、なんと、主の憐みは大きいことでしょうか。
エリヤは主のみことばをアハブ王に伝えました。「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ2,3年の間は露も雨も降らないであろう」(1節)。そして、そのみことばの通りに実現しました。エリヤはケリテ川のほとりでカラスによって養われました。そのあと、シドンのツァレファテのやもめのところで、養われました。
今日の個所は、聖書の本文を読むだけで、理解できると思いますので、とくに、注解はしませんが、以前、デボーションで励ましをうけたことを分かち合いたいと思います。
牧師に召されて4、5年後のことだったと思います。その頃は、毎朝の早天礼拝のメッセージ、日曜日の3回のメッセージ(その当時は、第1、第2、第3礼拝では、別々のメッセージをしていました)、それに祈祷会でのメッセージもあり、年間500回くらいのメッセージをしていました。甲子園リバイバルミッションや、そのほかのリバイバルの集会が次から次へと行われ、海外からもリバイバルのニュースが入り、トランスフォーメーションのDVDも作成された時代でした。
ある朝、この箇所を読んでいた時、「イスラエルの神、主が、こう仰せられるからです。『主が地の上に雨を降らせる日までは、そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない。』」(14節)というみことばが、私に直接、語られたような感じでした。主が地の上に雨を降らせる日とは、日本に後の雨(春の雨)、つまり、聖霊の雨が降り注ぐリバイバルの日であり、それまで、主は私にパンの材料である粉を尽きることなく与えると保証され、同時に、油注ぎがなくなることはない、と保証されたと感じました。「彼女は行って、エリヤのことばのとおりにした。彼女と彼、および彼女の家族も、長い間それを食べた。エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならかった。」(15節、16節)。それはとても力強い約束でした。そこで、力をいただいて牧師の働きを継続できたように思います。
今は、すでに堅先生にバトンタッチをして、私の牧師としての働きを終えました。そして、堅先生の上に豊かな油注ぎが与えらえれています。先日、姉妹教会を引退した牧師先生にそのことをお話すると、「私も!そうなんです。牧師をやめた途端にメッセージの油注ぎが感じられなくなったんです」と言っておられました。主は、みこころのままに主の教会の働き人たちを召され、その召されている期間は約束通り、油注ぎをもって守ってくださるのだと思います。今は、私は創造論宣教師として、神学校の教師として、セミナーの講師としての油注ぎを戴いております。堅牧師の働き、そして私の働きのために、いつも、祈りの支援をしてくださる皆様に感謝しております。
清宣教師