きょうの20章では、ダビデ王がアモン人との戦いにおいて勝利し、ペリシテ人との戦いに勝利し、イスラエルの平和を確立していく様子が記されています。しかし、ここでは省略されていますが、1節の「ダビデはエルサレムにとどまっていた」という何気ない表現の裏に、あのバテシバとの姦淫の罪とバテシバの夫ウリヤ殺しの罪が隠されています。一瞬の油断が、ダビデをエルサレムにとどまらせ、さらに、姦淫の罪と殺人の罪へとおびき寄せました。勝利に勝利を重ねる時、人は油断をします。そのとき、サタンが誘惑してくるのです。祝福されている時、その絶頂にあるときこそ、心の中の防備が解除されて無防備になってしまうときです。サタンの起死回生の策が功を奏する時でもあります。仕事がうまくいっている時、なにもかもがうまくいっているときこそ、最大の注意が必要な時です。ダビデ王は、金1タラントの王冠を与えられました。約30キログラムの金の王冠ですから、いつも、頭に載せているわけではなかったと思われます。それにしても、そのような時こそ、最も警戒すべき時のようです。外の敵ではなく、内側の敵、つまり、古い人(自分自身の欲望やプライドなど)が自分を支配してしまうのです。そのあと、3人の勇士たちのことが紹介されています。シベカイ、エルハナン、ヨナタンの3名です。シベカイは前に述べられていた30人の勇士たちのひとりです。しかし、エルハナンとヨナタンは、ここで初めて紹介されている人物です。ここで、補足説明しておく必要があったものと思われます。主はダビデのために、多くの勇士たちを備えて下さいました。
きょう、すべてのことが順調に進んでいるとしても、油断することなく、サタンの策略から守られるようにお祈りしましょう。人生には節目節目があります。その節目を大切にして、後ろの事を忘れて、主からの栄冠を受けることが出来るように、ひたすら前にある目標に向かって前進しましょう。
清宣教師