ヒゼキヤ王が即位しました。25歳で王となり、29年間、エルサレムで王として南ユダ王国を治めました。ヒゼキヤは、父祖ダビデのように、主の目にかなうことを行いました。そして、即位の第1年の第1月に、それまで閉じていた主の宮の戸を開き、破壊されていた個所を修理しました。さらに、祭司やレビ人たちを連れてきて、自分自身を聖別してから、宮の中を聖別するように命じました。そして、もう一度、イスラエルの神との間に契約を結びたいという決意を表明しました。それで、レビ人たちは立ち上がりました。そして、自分の兄弟たちを集めて、王の命令のとおりに、主の宮の中にある偶像礼拝に関わるものすべてを持ち出し、キデロン川へ捨てました。16日間で、すべてを聖別しました。ヒゼキヤ王は、この報告を聞いて町のつかさたちを集めて、主の祭壇に犠牲を捧げました。そして、全イスラエルの罪の贖いをなし、賛美隊を主の宮に立たせました。そして、主をほめたたえました。全焼のいけにえが捧げられ、ラッパが鳴り響き、ダビデの楽器が奏でられました。そして、一同はひざまずいて礼拝しました。それから、全集団は感謝のいけにえを捧げました。心から進んで捧げる者たちが多く、祭司たちの手では間に合わず、レビ人たちの手を借りて、なんとか間に合いました。ヒゼキヤも民たちも、このようなことをなすことができたことを、主にあって大いに喜びました。
ここで分ることは、ヒゼキヤがレビ人たちに対して、適切な指導をした結果、レビ人たちは、悔い改めと献身と感謝を主の前に捧げました。それにしても、ヒゼキヤの宗教改革の特徴のひとつは、ひとつひとつのことを積極的に、しかも、迅速に行ったことです。ある意味、ヒゼキヤ王の改革は、とても性急に見えますが、それは無計画であったのではなく、父の姿を反面教師として、長い間、自分の心の中で将来成すべき事柄を熟慮し、備えていたと考えられます。私たちも、暗黒の時代にただ悲しみ、絶望するのではなく、事態が変化した時に、即座に対応できるように祈りつつ備えることが大事だと思います。今、まさにそのような時です。新型コロナの感染が終息したあと、元気に活動できるように、祈りつつ備えましょう!
清宣教師