7章1節に「これらの出来事の後」と記されています。つまり、バビロン捕囚の民が、クロス王の勅令により、エルサレムに帰還して神殿の再建に着手して、約20年の歳月をかけて完成させました。そこから、アルタシャスタ王の治世の第7年(8節)というと、50年以上の歳月が過ぎています。正確には、6章と7章の間には、56年~57年のギャップがあります。エルサレムに帰還したとき、生まれた赤ちゃんも、すでに老齢になっていたのです。その頃、再び、主なる神は、エズラという人物を起こされました。エズラは、イスラエルの神が民たちに賜ったモーセの律法に精通している学者でした。当時、学者エズラは、アルタシャスタ王に仕えるものであり、アルタシャスタの信頼を受ける祭司であり、学者でした。エズラは、王の許可を得て、帰還を希望する者たちを連れて、エルサレムに上りました。約4ヶ月の旅でした。エズラは、エルサレムで主の民に対して、主のおきてと定めを教えるため、という明確な目的意識をもっていました(10節)。そして、アルタシャスタ王の勅令というべき、また任命書ともいえる書状を携えていました。今回の派遣は、王だけではなく、7名の議官も加わり、しかも、王と議官からもイスラエルの神に捧げる金銀を、エズラは託されています。つまり、これは国家的な事業の一環であり、地方の総督たちに対する絶対的な権威をもつものでした。そして、祭司エズラが必要とするものは、王の宝庫から与えられることになりました。こうして、神の宮の礼拝に用いられる器具などはすべて備えられることになりました。これらのすべてのことに対して、エズラは、主への感謝と賛美を記しています(27節~28節)。
今日の個所で、主は、必要に応じて、ご自分の器を起こされることを教えられます。その人物は、多種多様です。ある時は、政治的なリーダー、ある時は、祭司、ある時は、預言者、また、ある時は、学者であったりです。いつも同じとは限りません。私たちが、主のしもべとして準備するには、主の導きが必要です。どのような器として召されるかは、主がお決めになることです。大事なことは、主が自分を置かれた場所で、誠実に、仕えることです。主が必要なときに、用いることが出来るように、艱難の中で忍耐を養い、練られた品性を獲得することです(ローマ人への手紙、5章3節、4節参照)。清宣教師