12章で、奉献式は大きな喜びに包まれて終わりました。その後、ネヘミヤはペルシャに戻っていたようです。そして、10数年後、ネヘミヤが総督として、再び、エルサレムに帰ってきました。そのとき、ネヘミヤが目にしたことは、すでに、モーセの律法に反して混血の民がいたことです。わずか10数年の歳月で堕落してしまったのです。大祭司エルヤシブは敵のトビヤと親しくし、神の宮の中に、トビヤのために部屋をあてがっていました。ネヘミヤは大いに機嫌を悪くし、トビヤ家の器具類を全部、外へ放り出しました。そして、その部屋を清め、本来の目的にそって神の宮の器物などを納めさせました。また、レビ人への生活費の支給がなされていないため、レビ人や歌う者たちが神の宮での仕事をやめて、それぞれ自分の農地で畑仕事をしなければならないという実情を見ました。そこで、ネヘミヤは、代表者たちを詰問して、レビ人たちへの支給を元通りにし、神の宮での奉仕ができるようにさせました。また、安息日に売り買いがなされていたので、このことも、ネヘミヤはやめさせました。さらに、大祭司エルヤシブの孫が、ホロン人サヌバラテの娘をめとっていたことから分るように、異邦人との雑婚の問題は深刻な状態にありました。そこで、ネヘミヤは断固として、エルヤシブの孫を共同体から追放しました。ネヘミヤやエズラによる宗教改革でしたが、10数年の間に、大祭司や民たちの中に異邦人や異教との妥協が進んでいたのです。彼らはその深刻さに気付きませんでした。しかし、ネヘミヤはその堕落の本質を知っていました。ソロモン王さえ、その異邦人の配偶者の影響によって異教の習慣を取り入れて、イスラエルの国家を破滅の中に追いやる原因を作ってしまったのですから。ネヘミヤの改革は、進行中であり、困難を伴うものでした。ネヘミヤは、13章の中で、三度、この改革が失敗に終わらないように、どうか、私を覚えて、いつくしんでくださいと祈っています(14節、22節、31節)。今日の個所から教えられることは、何事も、ひとつのことが完成するまでには忍耐と決断と勇気が必要であることです。私たちもまた、御国に着くまで、完成はないということを覚えさせられます。目を覚まして祈り、信仰の指導者と共に、御国に着くまで気を抜くことなく、妥協することなく、自己満足に陥ることなく、完成を目指して成長する必要があります。共に最後まで歩き続けましょう。清宣教師