ヨブの人生は、29章に記されている幸せな人生から、一転して、30章のようなとても悲惨な状況に追い込まれました。1節~15節で、ヨブは自分が受けている社会的な辱めについて述べています。16節~23節では、これらの状況から、自分は神によって撃たれ、捨てられたと考えざるを得ない状況の中で、それでも、直接神に訴え語りかけています。24節~31節では、苦しみの中で叫んでいるヨブの求めに対して何もしてくださらない神へ訴えています。さて、29章から30章へと、ヨブは社会的に最も地位の高い人からも敬われる存在でしたが、一転して、世間からのけものにされている人たちからさえも嘲られ、辱められる存在となりました。主の祝福をいっぱい受けて幸いな人生を過ごしていたヨブが、あたかも主に呪われたかのような苦難の人生に突き落とされました。その苦しみの中で、神に問いかけても、まったく、主からの答えがない(30章20節)、そのことが、最も耐え難い苦しみであると告白しています。
今日の聖書箇所から教えられることは、主のしもべが通るべき苦難のことです。
世界最大の教会といわれたヨイド純福音教会のチョー・ヨンギ牧師が、ご自分の経験から次のように述べています。神のしもべはみな、次のような試練の過程を通らされると述べています。
第1の段階は、みんなの前で、批判され、非難されること。
第2の段階は、親しい者からも理解されず、批判され、非難されること。
第3の段階は、神様からも応答がなく、あたかも神様からも見放されているかのような苦難です。
ヨブの体験は、救い主イエス様が受ける苦難の一部を予表するものでした。無実の罪にもかかわらず、義のしもべとして受ける苦難です。私たちも主のしもべであるなら、ある程度の苦難を受ける覚悟が必要です。
清宣教師