詩篇37篇のみことばも、次から次へと、感動の連続です。この詩篇はアルファベット形式の歌で覚えやすくなっています。先生が弟子たちに語りかける格言集です。そのテーマは、「なぜ、悪を行う者が栄えるのか?」という、信仰者がぶつかる問題です。1節~11節は、主に信頼して善をおこない続けること。12節~20節は、悪者の繁栄は草のようであり、一時的なものである。21節~31節は、正しい者は永続する。32節~40節は、裁きと報いが必ずある。さて、ある意味、クリスチャンは、悪を行う者に対して腹を立てることがあります。あるいは、不正を行う者に対して妬みさえもつことがあります。クリスチャンは神の前に誠実であろうとして生きているのに、悪を行うものは不正をもって、簡単に富を得て成功しているように見えるからです。しかし、それは一時的なものです。ですから、やはり、「主をおのれの喜びとせよ!主はあなたの願いをかなえて下さる。」という誠実の道を歩み続けること。「あなたの道を主に委ねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」という指針に従うことが幸いの道です(4,5節)。なぜなら、不正や人を騙すことにより得られる財産は、やがて消え去る運命にあります。永続する幸いは、主のみこころを行う道です。「人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる!」(23節)。
今日の聖書箇所から教えられることは、世の中には矛盾に見えることがあります。どうして、悪を行う者が栄えるのか、という疑問です。それは、近視眼的な見方をするからです。永遠の世界では、心の貧しい者は永遠に地を受け継ぐ祝福を受けるのです(11節)。一方、悪者は自分の悪行のゆえに、かならず、永遠の刑罰を受けるのです。イエス様は、ご自分の人生においてその模範を示されました。人から捨てられ、唾され、辱められましたが、永遠の報いを信じて、最後まで耐え忍ばれました。きょうも、備えられた1日1章のみことばを感謝します。主を待ち望みましょう。
清宣教師