今日の詩篇61篇は、内容的には、2節に記されているように、神の都エルサレムから遠く離れた「地の果て」からの叫びです。そこから、神の幕屋のあるエルサレムに帰ることを願う詩です。1節―4節は、地の果てからの叫びと願い。5節―8節は、神の御前での確信と決意です。信仰者でも、気落ちする時があります。しかし、主への嘆願と祈りを通して、執り成しの祈りを通して、確信へと導かれるのです。そして、地の果てにある者にも豊かな救いが与えられました。そのように、現在の私たちにとっても、心が衰え果てる時、あたかも地の果てから呼ばわるように思える時でも、主は救いをもたらしてくださいます。どのような状況にあろうとも、主の真実は変わりません。
今日の聖書箇所から教えられることは、主は、私たちの避け所であり、敵に対して強いやぐらとなって下さるお方です(3節)。そして、主なる神様は、大きな、大きな翼を広げて、私たちひとりひとりを覆って下さいます(4節)。今日の一日も、主よ、あなたの御手に委ねます。私たちをお守りください。
ところで、1676年12月下旬のことでした。オランダの科学者、アントニー・レーウェンフークは、1632年10月24日に生まれ、 1723年8月26日に召されるまで、500もの顕微鏡を作ったとされています。もともと、織物商だった時代に洋服生地の品質の判定のために虫眼鏡を使って生地の細部を見ていたのでレンズの取り扱いには慣れていたようです。自作の顕微鏡を用いて、身近なものを覗いて回り、様々なものを見て感動していたことが知られています。この中には、当時の生物学専門家には知られていなかった新発見が多数含まれていました。歴史上はじめて顕微鏡を使って微生物を観察し、「微生物学の父」と呼ばれています。最初は、小さな発見が、大きな発見へと道を開くものです。私たちの日々の小さな発見が、やがて、創造主のみわざの発見へと発展していきます。きょう、新たな発見と感動がありますように!!
清宣教師