今日は、詩篇134篇です。「都上りの歌」の最後のものです。内容的には、家路につこうとする巡礼団と、それを見送るエルサレムの祭司たちとの交唱賛美(交読文のようなもの)と考えられています。そのような理解に立つと、「都上りの歌」の締めくくりにふさわしい歌ということになります。
1節~2節は、都をあとにする巡礼団の旅たちの賛美です。「さあ」と呼びかけています。相手は、主のしもべたち、夜毎に主の家(神殿)で仕える者たちです。つまり、主の神殿で、昼も夜も仕えている祭司やレビ人たちのことです。さらには、神殿の門衛、神殿の警備にあたる者たちも含まれます。巡礼団の人たちは、名残惜しそうに、神殿の境内を離れて、故郷の家に帰ろうとしています。それで、自分たちは、ある意味、それぞれの故郷に帰らなければならないけれども、いつも、このエルサレムの神殿で奉仕を任されているあなた方は、私たちの分まで覚えて、主を賛美し、主に仕えて欲しいという願いが込められているようです。「主をほめたたえよ。主のすべてのしもべたちよ」。「手を上げ」とは、当時の人たちの祈りの姿勢です。主の神殿に仕える特権にあずかっている祭司たち、レビ人たちよ。いつも、私たちの分まで、賛美し、祈り、主に仕えて下さい、という歌です。
それに対して、3節は、祭司たちが、家路に着こうとしている巡礼団の一行に心から祝福を祈っています。「天地を造られた主がシオンからあなたを祝福されるように」。故郷までの帰途の守り、それに、帰ってからの神の民としての生活の上に、創造主の祝福があるように、との心からの祝福です。
今日の聖書から、主日の礼拝ごとになされる牧師の祝祷を思い出します。それぞれの家路に帰る聖徒たちに、礼拝の最後に、「御父と御子と御霊の三位一体の神からの祝福」を祈る祝祷です。神の民は、昔も今も、本質的に変わりません。神の民は、共同体の一員として、同じ場所に集まり、共同の礼拝を捧げ、主の祝福の祈りを受けて、それぞれの置かれた所へ帰ります。
清宣教師