さて、詩篇141篇ですが、私たちの祈りとして口ずさむとき、ピッタリ、心に響きます。この祈りは、主なる神様に、支えを求める祈りとなっています。1節―4節は、誘惑からの保護を求めての祈りです。私たちの肉の性質は、いつも、聖霊様の助けをもとめています。朝ごとに、夕ごとに、この祈りを捧げます。いらいらして、軽率なことばが口から出てきます。主よ、私の唇から、人を傷つけることばが出てきませんように。私の心が欲望に走らないようにして下さい。5節―10節は、敵からの保護を求めての祈りです。主よ、あなたの懲らしめを受け取ります。私を誘惑する者を退けて下さい。私をよみの入り口から遠ざけて下さい。私をいつも見守って下さい。私を巧みな誘惑の罠から守って下さい。私を陥れようとするものを裁いて下さい。
今日の聖書箇所から教えられることですが、主は意地悪なお方ではありません。主は恵みと愛にみちたお方です。主は最良最善のものだけを、私たちに与えて下さるお方です。ですから、たとい、私たちが苦しみに遭ったとしても、そこには、主のご計画があります。「御子イエス様が御父を信頼して、地上での人生を貫き通したように、私も、御子イエス様の御姿に似た者として下さい」と祈ります。
さて、きょう、3月17日(木)の午後1時半~3時半、オンラインで、凸凹神学会で「進化か、創造か」というテーマで発題することになっています。昨年の7月にも、凸凹神学会で創造論宣教師としての証しをし、創造論について紹介しましたが、著名な神学者の方や、進化論と聖書は矛盾しないという本を出版された科学者の方もおられました。それで、発題が終わると、「屁理屈だ!」とか、「進化論を信じないなんで科学者としてあり得ない」などという、反論が飛び交いました。まともな議論はなく、感情的な反発を受けました。感謝なことに、私の証しを真摯に受け止めてリスペクトしてくださる参加者の方もおられました。今回は、「進化か、創造か」というテーマで、私たちが目にしているこの世界は、進化ではなく、創造のみわざによって出来上がっていることを明確にしたいと考えて発題の内容を準備しました。参加者の方々の心に聖書の創造の事実が届きますように、お祈りに覚えていただけましたら、感謝です。また反論を受けても、柔和に、御霊に満たされて答えることが出来るようにもお祈りしていただけましたら感謝です。清宣教師