きょうはイザヤ書51章です。全体の流れとしてはバビロンへの捕囚という神の裁きのもとに失望と挫折のうちにある南ユダの民に対して、希望の約束と励ましを与える内容です。「私に聞け」(1節)、「私に耳を傾けよ」(4節)、「私に聞け」(7節)と三度も繰り返して、主は呼びかけておられます。人のことばではなく、主のみことばに聞けということです。人のことば、敵のことばを聞いていると、それに支配されて、1日中、絶えず、虐げる者の憤りを恐れるような罠に陥ってしまいます(13節後半)。天と地を創造された神、しかも私たちを造られた神を忘れると、そのような罠に陥るのです(13節、前半)。人間とは、土のちりに返るべきもの、草にも等しいものなのです(12節)。主は語られます。あなたは永遠の滅びに定められているものであるかのように生きているが、そうではない。あなたは確かに裁きをうけたけれども、わたしはもうあなたを怒ってはいない。「わたしは、わたしのことばをあなたの口に置き、わたしの手の陰にあなたをかばい・・」。「あなたはわたしの民だ。」(16節)」と語られます。
今日の聖書箇所から教えられることは、人のことばではなく、私たちの造り主イエス様のみことばに耳を傾けることです。私自身、ここ2,3年、自分自身の信仰の不足を痛切に感じて、「私の信仰を増し加えて下さい」と毎日、祈ってきました。しかし、その結果、得られたものは失望と挫折感でした。それで、分かったことは、「私の信仰」ということで、私自身に心が集中してしまい、自己中心の祈りに陥ってしまったことでした。これはアリ地獄のように、もがけばもがくほど沈むだけでした。真の解決は「私の不足(欠陥)」に焦点を当てるのではなく、神の御子キリストのご品性に焦点をあてることです。いつも変わることがない、つまり、聖書の時代においても、現在においても、変わることがない御子イエス・キリストの真実な愛、赦し、憐れみに目をとめることです。「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目をはなさないでいなさい」と忠告されています。「人々のことばに」ではなく、「自分の実力に」ではなく、「主のみことばに」心を向けましょう。主こそ神。主は私たちの救い!!
清宣教師