さて、今日のホセア書2章は、前半の2節―15節が告発、そして後半の16節―23節が新しい契約の日というテーマになっています。
2節―15節は、夫としての主なる神が、不信の妻であるイスラエルを告発する形式となっています。主は、法廷においては、検事であり、裁判官であり、刑の執行者でもあります。それと同時に仲裁者でもあります。6節、9節、14節の冒頭に、「それゆえ」ということばが記されています。これはその直前に明らかにされた罪に対する判決を意味しています。あなたはこれこれの罪を犯した、それゆえ、あなたに宣告するという形式です。
イスラエルは、物質的には繁栄していました。5節、8節、9節などから、そのことをうかがい知ることができます。しかし、一方で、バアル礼拝が盛んでした(13節など)。本来の夫である主なる神に背を向けて、バアル礼拝をしていることは主に対する背信であり、霊的な姦淫を犯していることになります。それで、「彼女はわたしの妻ではなく、わたしは彼女の夫ではないからだ」という宣告がなされています。同じ2節の「顔から姦淫を」「乳房の間から姦通を除く」とは、バアル礼拝において参加者が頭や胸につける飾りのようなものがあったことを示唆しています。続いて、それらを取り除くように命じられています。3節ではもし取り除くことをしなければ、砂漠のようにすると主は言われました。渇きで死なせると宣告されています。その背景には、バアルは雨を降らす神でした。しかし、バアルは無力であること示されるのです。天地の創造主こそ、太陽を上らせ、雨を降らせ、穀物と新しいブドウ酒と油などの祝福をあたえるおかたです。しかし、彼らは創造主の祝福に与りながら、バアル礼拝をしていたのです。6節「それゆえ」裁きが宣告されます。イスラエルの悪を矯正するためでした。しかし、イスラエルは耳を傾けず、バアル礼拝に傾倒していました。9節「それゆえ」さらに、裁きが宣告されます。11節には、主への祭、例祭、安息日などを捧げていますが、それらもすべてバアル神を礼拝する祭儀のもとでの行為でした。続く。