14章です。祭司長や律法学者たちは、イエスを殺害しようとして絶好の機会を狙っていました。しかし、彼らの考えでは、祭りの期間は大勢の人々が集まるので、この時期は避けたほうが良いと考えていたようです。
さてエルサレム郊外のベタニヤ村のシモンの家での出来事でした。一人の女性が、とても高価な、時価300万円ほどもするナルドの香油の入った石膏の壺をもってきて、それを割り、イエス様の頭に注ぎました。その途端、家の中には素晴らしい香油の香りが立ち込めました・しかし、弟子たちの中に、この女性の行為に対して「なぜ、無駄遣いをするのか、これを売って貧しい人たちの施しのために用いればよかったものを」と咎める者がいました。それに対して、イエス様は「この女性は埋葬の用意をしてくれたのです」、と言われて、この女性の行為は、のちのち全世界の人々に語り告げられることになる」と言われました。そして、そのとおり、今ではこの女性の行為は全世界のクリスチャンの間に伝えられています。もちろん、イエス様は貧しい人への施しを否定したのではありません。「今でなければ出来ないことがある」ということを言われたのです。
男性の弟子たちは、何度もイエス様の十字架の受難の予告を聞いていながら無頓着でした。一方、この女性(マリヤ、ヨハネの福音書12章2節、3節参照)は、いつもイエス様の膝元でイエス様のお話に耳を傾ける女性でしたから(ルカの福音書10章39節、42節参照)、イエス様の受難が近いことを悟り、最も大切な瞬間に、イエス様に対してなすべきことをすることができたのです。現代の私たちにとって、特に男性のクリスチャンにとって必要とされる賜物である、と思われます。つまり、理屈ではなく、愛をもとに判断する賜物です。
一方でユダはイエス様を裏切ることを考えておりました。その動機のひとつは、お金に対する執着でした。もうひとつは、ユダは、イエス様がイスラエルの王として君臨されることを願っていたのに、イエス様は、むしろ、ご自分を仕えるものとして、ご自分を犠牲として捧げられることを公言していたからです。世的な権力を求めていたのに、その真逆のイエス様の生き方に失望し、見切りをつけたことが考えられます。
ところで、イエス様と弟子たちは、過ぎ越しの食事を一緒にされました。その中で、弟子たちの中のひとりが裏切ることを予告されました。それに対して、「まさか私ではないでしょう」と言って、否定しました。その中にはユダも含まれていたと思われます。実際、イエス様を裏切ったのは、ユダ一人ではなく、12人の弟子たち全員でした。中でも、ペテロは、イエス様の予告を誰よりも強く否定しましたが、結局はイエス様を裏切ることなりました。弟子たちみんなで過ぎ越しの食事をしてのち、賛美をうたってからオリーブ山に出かけられました。
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