さて、ご最期とは、ギリシャ語で「エクソダス」(出エジプトあるいは脱出)ということばが用いられています。まさに、イエス様の十字架の奥義は、ご自分の民をこの世から天の御国へと脱出させる解放の道でした。そして、父なる神様が、「これは、わたしの愛する子、わたしの選んだ者である。彼の言うことを聞きなさい」と言われて、これから苦難の道をたどることになる弟子たちのためにも、励ましのことばを語られました。それにしても、弟子たちはまだ、悟ることが出来なかったようです。相変わらず、自分たちの中で誰が一番偉いかなどということを議論していました。イエス様は、偉い者ではなく、仕える者、小さなものとなるように諭されました。
さて、9章の最後には、イエス様は、これから弟子になろうとする者たちに対して、「だれでも、手を鋤につけてから、後ろを見る者は、神の国にふさわしくありません」と忠告されました。私も大学生のころ、農場実習で、耕運機で畑を耕したことがあります。牛ではなく、耕運機でしたが、原理は同じでした。まっすぐに畝をたてるには、前方の一点をみつめて進むことでした。前方の目印から目を離したり、まして、後ろを見たりすると、畝はグニャっと曲がってしまうのです。イエス様が言われた忠告がよくわかります。「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」というみことばの通りです。後ろを振り向くと、自分の人生があっちに行ったり、こっちに行ったり、グニャグニャとなってしまいます。まっすぐに、イエス様を見て歩もう!!
主の御霊は、私たちのうちに豊かな御霊の実を結ばせてくださいます!