ローマ人への手紙1章~11章は、キリスト教の中心的な教理について、また、12章~15章では、クリスチャン生活(人生)の実践について述べていると言われています。旧約聖書では、祭壇に捧げる動物の生贄の場合は、動物は殺されて、その血を捧げるものでした。しかし、この12章1節では、生きたままで供えるように勧められています。それは、イエス様がすでに、私たちの身代わりとしてご自分のいのちを捧げて下さったという事実があるからです。イエス様を信じるクリスチャンの場合は、このからだを生きたままで、神に受け入れられる聖い、供え物として神様に捧げることが求められています。それが、霊的な礼拝です。つまり、私たちの全生活、あるいは、私たちの人生を生きるにあたって、神のみこころは何か、何が良い事であり、神に受け入れられ、完全であるかをわきまえ知る生活です。そのためには、心の一新によって自分を変える必要があります。
ローマ人への手紙の1章~11章を通じて、人間はみな罪人であり、神には受け入れてもらえないこと、それはユダヤ人であっても、異邦人でもみな同じであること、そして、イエスを信じる信仰によって義とされ、肉ではなく、御霊によって生きる以外に、救いはないことを学んできました。つまり、クリスチャンの人生、生活の実践において、その土台となるのは、心の一新です。私たちは過去、うまれつきのいのち(肉のいのち)によって歩み、罪の奴隷として、サタンの支配下にありました。そして、この世の価値観によって生きてきました。しかし、クリスチャンとしての人生は、それらの古い生き方と完全に訣別することです。つまり、この世の者として生きるのではなく、私たちは神様のこどもとして、御霊に導かれて生きる新しい人生へと招き入れられたのです。ですから、心の一新によって、御霊に導かれて生きる人生を歩み続けることです。ここにクリスチャンの生活の原点があります。私たちは、クリスチャンですが、世の中で生きています。ですから、心の一新により、たえず、自分を変える必要が在るのです。もちろん、それは、自分自身の力でということではなく、御霊の助けによって、自分を変えるということです。
3節~8節は、ローマ教会にとって必要な7つの賜物、霊の賜物についての勧めが記されています。また、お互いに思い上がることなく、互いに仕えるために、賜物が与えられていることを強調しています。
9節~16節は、教会内の人間関係において、「兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい」とパウロは、釘をさしています。これも心の一新の実例のひとつです。また、17節~21節では、特に迫害下の教会にとって必要な「復讐」の問題を取り上げています。そして問題を解決するのは、復讐ではないこと、裁きは神に委ねて、愛をもって敵対者に応ずることにより解決の道がひらかれることを示しています。これも、心の一新が必要な実例です。
主はあらゆる方法で、私たちに語り、私たちを導かれるお方です!