ヨブは、前章の最後(19章28節、29節)で、友達に対して刑罰がくだるとの警告のことばを発しました。そこで、ツォファルはヨブのことばは、自分たちに対する侮辱であると受け止めて、この20章で、強く反論しています(2節~3節)。4節~29節は、いつもの通りの繰り返しです。悪人の行く末はこうであると述べて、ヨブの行く末を断じています。20節~29節では、とくに、ヨブが不正に富を蓄えただけでなく、飽くことのない欲望がそうさせた、と決めつけています。私たちの間でもそうですが、人を裁く時に、自分の心の中にあるものを相手に投影して裁く場合が多いのです。まさに、ツォファルがそうでした。ツォファルにとって、富が心の中心の課題でした。しかし、ヨブにとってはそれは問題ではなかったのです。だから、ツォファルは、ヨブの苦悩を理解できず、浅はかにも、ヨブは富への欲望により罪を犯したに違いないと断定したのです。これでは、ヨブの真の友にはなれません。むしろ、いたずらに、ヨブを裁くだけのものとなっています。ですから、ツォファルも他の友達とともに、主の裁きを受けることになるのです(42章7節~9節)。
今日の聖書箇所から教えられることは、自分の考えや自分の経験、自分の弱さから他人を判断することの危険性です。他の人を理解するには、まず、自分自身が偏見や固定観念から解放される必要が在ります。聖霊様は、その自由を与えて下さるお方です。どうか、私たちを兄弟姉妹を裁こうとさせる誘惑からお守りください。また、聖霊様の導きの中で、兄弟姉妹のことを真に理解することができますように。
清宣教師