アブシャロムは心に秘めていたことを実行に移しました。しかし、アブシャロム以外にはそのことに気づいた者はおりませんでした。アブシャロムは、いつも、朝早く、城門に通じる道のそばに立っていました。私たちも時々選挙の期間には、候補者が朝早くから通勤の道に立って挨拶する姿を見かけますが、でもその期間が過ぎると姿を消します。しかし、アブシャロムは、4年間、雨の降る日も、風の日も、ともかくも、そこに立って、地方から来る首長たちに笑顔で挨拶し、抱擁し、口づけして、ひとびとの話を聞いてあげました。そして、あなたの訴えは正しい、でも、王の側には聞いてくれるものがいない、と言って、アブシャロムはイスラエルの地方の首長たちの心を盗みました。イスラエルの人たちは、こうしてアブシャロムの計略に捕えられてしまいました(2節―6節)。しかも、彼らはアブシャロムに対して警戒心を持つことがありませんでした。なぜなら、自分たちの利権に心を奪われると、客観的にみることが出来なくなるからです。

ついに、時が熟して、アブシャロムが、行動を起こします(7節―11節)。そのことをダビデが知った時にはすでに、イスラエルの人たちの心がアブシャロムになびいていました(13節)。このとき、ダビデの行動は信じられないほどの素早いものでした。自分の家族と少数の民たちだけを連れて、宮殿やエルサレムを捨てて、荒野へと脱出することを決めて、すぐに、行動に移しました(14節―23節)。そこには主の導きがあったと思われます。

また、逃避行の途中、祭司ツァドクが神の箱をもってダビデのもとに来ましたが、神の箱をエルサレムの町に戻すように、また、ツァドクをも家に返しました。また、ダビデの友、フシャイもダビデのもとに来ましたが、彼をも町へ返しました。それはツァドクやフシャイにより、アブシャロムの側の人たちに関する情報を得るためでした。これらの知恵もまた、主からいただいたものと思われます。ダビデにとって当面の最大の心配は、アヒトフェルがアブシャロムに加担したということでした。ダビデはアヒトフェルの力量を知っていたので、このことを一番恐れていて、「主よ、どうか、アヒトフェルの助言を愚かな者にしてください」と主に祈るほどでした(31節)。

ダビデが恐れたように、アヒトフェルの助言は、まさに的確で、神の知恵のようでした(16章23節)。しかし、主のなされることは不思議です。アブシャロムは、イスラエルの心を盗むことに成功しましたが、皮肉にも、アブシャロムの心は、ダビデが都や宮廷に残したツァドクやフシャイによって盗まれることになるのです。そして、アブシャロムの計画は無に帰することになるのです。

ダビデは多くの点で失敗しました。そして、自分の身にそれを負うことになりました。しかし、アブシャロムのように、自分を義とする者たちがダビデを陥れて、ダビデを葬り去ることはお許しになりませんでした。主は油注がれた者をお守りくださいます。

清宣教師