台風が過ぎ去り、今朝の三神峯の散歩道は、銀杏の黄色の葉、杉の茶色の枝、そして、桜などのいろとりどりの葉が敷き詰めるように落ちていました。空を見上げると深い秋の空になっていました。
さて、西多賀教会の先輩の牧師である後藤先生の随筆を読みましたが、そこにはキャッチボールのことが書かれていました。キャッチボールは、野球の基本で、お互いにボールをやり取りするのですが、相手の胸をめがけて投げるようにします。お互いに取りやすいようにするわけです。人間関係でも、お互いに胸をめがけてキャッチボールすることが基本ではないかと記されていました。夫婦の間、親子の間で、ことばのキャッチボールをすることが基本であり、このキャッチボールが上達することが人間関係を向上させるのではないかという趣旨のことが記されていました。キャッチボールでは、自分勝手だと、お互いに取りにくいボールが来て、長続きしないわけです。相手のことを考えて、相手の一番とりやすい胸をめがけて、ちょうど良いスピードで投げ合うのです。
きょうの19章では、ダビデはアブシャロムが死んだことを悲しんでいます。それはダビデがバテシェバとの罪を犯したとき、預言者ナタンが預言したとおりのことが起こったからです。息子の反乱も、その原因は自分自身にあるということを覚える時、アブシャロムを責めるよりも、わが子に対する不憫な思いが心を占めたからであると思われます。それにしても、ヨアブをはじめ、劣勢にあるダビデの軍勢が死に物狂いでアブシャロムの正規軍に立ち向かって勝利を得たのですから、ダビデ王が「わが子アブシャロム、アブシャロムよ。」といって大声で泣いていることは、ダビデに仕えていた者たちにとっては不快なことであったと思われます(4節、5節)。そこで、ヨアブが、王の家に行き、ダビデの部下たち、民たちにねんごろに語るように勧めました。その結果、ダビデ王は、門のところに座り、すべての民たちに語りました。こうして、ダビデの家来や民たちの心はダビデに繋ぎとめられました。
ダビデは、アブシャロムを失なって初めて息子の存在が大きいことを知りました。しかし、時すでに遅しでした。もっと、早くから、ダビデが息子たちと、キャッチボールをしていたら、このような結末を迎えることはなかったと思われます。
その後のダビデの行動は、すべてのユダの人々の心をひとつにさせて、ダビデを王として迎えるように導きました(14節)。そして、エルサレムに帰る途中、シムイやツィバやメフィボシェテが迎えにきました。彼らはもともとサウルに関係する人たちでしたが、ダビデは彼らのことばを受け入れて、寛大に処置しました。
このような出来事の中で、ギルアデ人バルジライは、ダビデにとって慰めのひとでした。宮殿を追われて逃亡するダビデに対して、親切にしてくれた人でした。ダビデはバルジライに対して恩返しをしようと思いますが、バルジライはそれを辞退し、バルジライの息子キムハムがその恵みを受けることになりました。こうして、ダビデは、ヨルダン川をわたり、ギルガルへ進みました。ところが、そこで、イスラエルの部族とユダ族の間で、ダビデを王として迎えるやり方について、対立が起こり、イスラエルの10部族が離反しました。本質的な問題はなかったにもかかわらず、双方のプライドのゆえに、無用な対立が生じてしまいました。
個人でも、共同体でも、その間で日頃からキャッチボールをすることが協力関係を築く秘訣のようですね。
清宣教師