エルサレムの城壁が完成したのはエルルの月(第6の月)の25日でした(615節参照)。そして、水の門の前の広場で悔い改めの聖会が開かれたのが、第7の月の1日目(82節参照)でした。従って、城壁の完成のあと、間髪を入れず、イスラエルの全集団が集まり、学者エズラにより、モーセの律法が説き明かされたことが分ります。その日は、夜明けから真昼まで、神のみことばが朗読されました。学者エズラの朗読を13名の者が補佐しました。おそらく交代して朗読したものと思われます(4節~8節)。そして、主の恵みにより、民は読まれたことを理解しました(8節)。

ところで、西多賀教会の新会堂が完成した時、完成直後の4月末から5月初めのゴールデンウィークに、教会員の有志が集まり、朝から夕まで、交代で、みことばを朗読したことを思い出します。きょうのネヘミヤ記8章にならってのことでした。ひとりの持ち分は15分くらいで、次の朗読者が、控えの席に座り、途切れることなく、聖書(申命記?)を朗読しました。

さて、民はみことばを理解した時、みな泣いてしまいました(9節)。そこで、エズラやレビ人たち、また、ネヘミヤは民たちの心を神の祝福と恵みに向けさせました。そのことも民たちはみな理解しました。さらに、主のみことばに飢え渇く民たちは、一族のかしらと祭司とレビ人たちの手によって律法のことばをさらに深く調べるように促しました。

そして、タイミングよく、この第7の月は、民たちが守るべき、非常に重要な祭りの日があることを見出しました。それは、15日の「贖罪の日」、15日から始まる「仮庵の祭」でした。仮庵の祭は、出エジプト後の荒野での生活を象徴する祭りであり、主が約束の地へと導いて下さった恵みに感謝する祭りでした。彼らは、山へ出て行き、オリーブ、野生のオリーブの木、ミルトス、なつめやし、枝の茂った木の枝などを取ってきて、仮庵を作りました。自分の家の屋上(屋上は平らでした)や、庭の中、広場などに仮庵を作りました。それは、こどもたちにも、大人たちにも、家族みんなにとって楽しい祭でした。夜になると、仮庵ですから、天井(あるいは屋根)の隙間から輝く星空が見えました。果実の収穫の時でもありましたから、非常に大きな喜びをもたらしました(17節)。祭は7日間にわたって行われました。8日目はきよめの集会が行われました(18節)。

今日の聖書箇所からも、主の御計画はあらかじめ定められており、主のみこころに従いたいという者が現われる時、主はタイミングよく必要な情報をもたらされるということを教えられます。主は私たちの人生の全行程をあらかじめ見せてはくださいませんが、その時、その時、必ず、必要な情報(指示)を与えてくださいます。アブラハムは、正確な目的地の情報を与えられることなく、行く先を知らずして、信仰によって出発しました。しかし、前進するごとに、その都度、必要な情報が与えられ、ついに約束の地に入りました。主は共にいてくださり、必ず目的地に導いて下さいます。

清宣教師