ヨブは、262節~4節で、友人のことばが、無力な者、知恵のない者たちの助けになるとは思えないこと、神からのものでなければ役に立つことはできないこと、友人の知恵は果たして何処から出てきたのか、神からの知恵ではなく、あなたがた自身の知恵から出ているのではないかと、問いかけています。

5節~14節において、ヨブは創造主のみわざと摂理について述べています。創造主のみわざをみて、探求する時、そこに創造主の無限の叡智、豊かさ、深さを知ることになり、その一方で自分自身の無力さ、はかなさ、被造物としての限界を徹底して知ることになります。友人たちの神観は、因果応報の原理によってしか働かない神であり、神を自分たちの考えに閉じ込めていることを見抜いています。そして、創造主のみわざと摂理とは人間の知恵を遙かに超えたものであることを示そうとしています。

5節と6節では、よみの世界に言及し、7節~11節で、地球の創造の神秘、12節~13節で、神に敵対する象徴としての「海」「ラハブ」「逃げる蛇」などの暗闇の勢力に対する裁きについて言及しています。そして、最後に、これらの理解ですら、人間としての理解であり、創造主のみわざを知り尽くすことは到底できないことを強調しています。ヨブは、真の知恵は創造主のみわざに表された神の知恵を理解することと深く関わりがあると考えています。

ところで、創造科学の研究者たちは、26章の7節に記されている、「張り」と訳したヘブル語は、水を運ぶカメを「傾けて」、水を飲ませる時に用いられていることから、「神は北を虚空に傾け」という意味であると理解しています。そして、その意味は、地軸が傾いていることを指していると理解します。地軸(ちじく)とは、地球が自転する際の軸であり、地球の地軸は、公転面の法線に対して(赤道傾斜角)、約23.43度傾いています。これによって地球上には、四季折々の季節が生じることになります。

また、「虚空に」「何もない上に掛けられる」とは、まさに現代において明らかになったように、地球が宇宙空間に浮かぶ姿を表現していると理解しています。

また、10節の「水の面に円を描いて、光とやみとの境とされた」という描写から、地球が球体であることを示唆していると理解しています。

ヨブ記は、創造論の科学者にとって、創造の叡智が隠された書物であり、真理の宝が散りばめられている書物でもあります。

38章からは、まさに、創造主なる神ご自身が、創造のみわざを解き明かすことにより、ヨブに対して答えています。

清宣教師