風薫る新緑の季節、連休の合間に、11章を配信させていただきます。

13篇は、長く続く苦難の中でのダビデの心の歌です。ダビデの苦難とは病気なのか、サウロ王による迫害であるのか、どちらか明確ではありませんが、肉体的な状況も、あるいは周囲の様々な事情を考えても、望みを見出すことが出来ない状況の中でダビデは、唯一の求めとして、主の御顔を仰ぎ見ることが頼りでした。

1節と2節は、長引く苦難の悩みについて記しています。とくに、「いつまで」ということばが、4回も繰り返されています。主がおられることは確かなのですが、主が自分を見て下さらないように思えてならないのです。しかも、自分一人、孤独の中で耐えなければならないのです。「1日中悲しみがあります」とは、夜も眠れない状況を表しています。死の危険を覚える中に、ひとり置かれておるようで、いつか、敵が勝利してしまうのではないか、という不安が襲い掛かります。

3節と4節では、「死の眠り」から守りを求めています。「私に」、「私に」と切に、主の御顔を求めています。「目を輝かす」とは、不安や恐れからの解放と希望を与えられた状態を表すと考えられています。主が共におられるなら、よろめくことがありません。「私の神、主よ。私の目を輝かせてください」。なんという素晴らしい表現でしょう。苦悩の中で、主はダビデの祈りのことばをも導いて下さっています。

5節と6節では、主に歌を歌います。5節の「私の心」は神の恵みに委ねることが出来、一人ぼっちの孤独から解放されて、平安が与えられました。それは救いの喜びです。6節の「あしらう」とは、「報いる」という意味をもっています。信仰を揺さぶる苦難を歩く中で、神の恵みと真実を信じて歩むとき、主は、その信仰に豊かに報いて下さるのです。

私たちの信仰生活の中でも、多くの苦難があります。「いつまで」「いつまで」「いつまで」「いつまで」と叫ぶ、ダビデの祈りに共感を覚えます。しかし、そのことを通して、主は私たちの信仰を豊かにし、さらに、アップグレードさせてくださいます。主は恵み深いお方です。

清宣教師