日曜日の詩篇23篇は、私たちの世代のクリスチャンはみな暗唱することを勧められて実行しました。みなさんにも暗唱すること、お勧めします。月曜日の詩篇24篇も、「地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである。」(241節)という告白は、創造論の信仰に立つ私たちの基本的な告白の一つです。これも覚えておくと、いろいろなときに、力になります。

今日は詩篇25篇ですが、1節~7節(主の道を求める)。8節~14節(主の道は恵みとまことである)。15節~22節(誠実と正しさを保つ人生)、の3つの部分に分けることができます。

さて、冒頭の「主よ。私のたましいは、あなたを仰いでいます。わが神。私は、あなたに信頼致します。」(1節、2節)は、まさに、私たちの日ごとの信仰の告白です。1日の始めに、この信仰の告白をもって始めたいですね。

「主よ。あなたの道を私に知らせ、あなたの小道を私に教えてください。あなたの真理のうちに私を導き、私を教えて下さい。」(4節、5節)。これも私たちの日々の祈りの模範として、覚えて、活用したい聖句です。創造主の作品である私たち人間が歩むべき道は、創造主がご存知です。ですから、日々、私たちは、私たちの歩むべき道を、創造主に尋ね求めるのです。私も、朝ごとに、歩むべき道を求めて、創造主に示して下さるようにお祈りしています。

「主を恐れる人はだれか。主はその人に選ぶべき道を教えられる。」(12節)。主は、現在、真理のみことばである聖書のみことばを通して、日々、ご自分の道を示し、私たちを導いて下さいます。

15節以降は、8節から14節の主の恵みと祝福の確かさのゆえに、常に、主に従おうと願う信仰者の決意の表明であり、祈りとなっています。「私の目はいつも主に向かう。主が私の足を網から引き出してくださるから。」(15節)。16節以降、悩み、苦悩、苦しみ、労苦、という表現が、次々と記されています。だからこそ、私たちは、主の恵みにしっかりと立って歩む決意が求められています。そして、告白します。「私はあなたを待ち望んでいます。神よ。イスラエルを、そのすべての苦しみから贖い出してください。」(21節、22節)。アーメン。

この詩篇25篇の特徴は、アルファベット歌になっていることです。アルファベット歌とは、ヘブル語のアルファベット、つまり、アーレフ、ベート、ギメル、ダーレト・・・・タウという22文字を用いる詩の技巧です。1節の冒頭の文字が、アーレフになっています。2節の冒頭の文字がベートになっています。3節の冒頭の文字がギメルになっています。こうして、それぞれの節の冒頭の文字をみると、アーレフ(1節)、ベート(2節)、ギメル(3節)、ダーレト(4節)・・・・タウ(22節)。この技法が用いられていると、読者も覚えやすいものです。日本の和歌にも似たような技巧が用いられているものがあります。例えば、「古今和歌集」に出てくる在原業平朝臣の一首があります。「唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ」ここに、5-7-5-7-7のそれぞれの冒頭の字を読むと、「かきつばた」ということばになります。言葉遊びの一種です。

清宣教師