聖霊様は、きょうも私たちの内に働いて、御子の似姿へと、栄光から栄光へと変えて下さいます。
きょうの詩篇39篇は、神への信頼と祈りが人生の空しさを支えてくれるという信仰の知恵を教えていると言われています。
1節~3節:人との会話において、自分の舌を制することが出来るのは、神様との豊かな交わりともっているからです。
4節~6節:ダビデは自分の人生を振り返り、人生のはかなさを確認し、悪人の繁栄を妬むことの愚かさを述べています。
7節~11節:「主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです。」(7節)と言い、人生のはかなさを確認した後で、ダビデは自分の人生の目的や希望は、ただ、主にのみ永遠に信頼して従うことのほかにないということを告白しています。そして、悪人の仲間にならないで生きることが出来るように、主の守りを願っています。
最後の12節~13節では、「祈り」「叫び」「涙」「旅人」「寄留の者」という表現により、地上の旅路ではすべてを主に委ねて、訴え、求める信仰者の姿勢を表明しています。寄留者ではあっても、不平やつぶやきの中にある生活ではなく、笑顔と朗らかな心で生きる生活を願って閉じています。
沈黙を守ることは、ある意味、公正な主にすべてを委ねる姿勢でもあります。例え悪人が栄えているように見えても、それは主の前には一瞬であり、しかし、その刑罰は永遠です。だからこそ、目先の利得で悪人に習うことなく、主の前にただしくあることこそ、永遠の報いを伴うものであることを覚えて、悪の道から自分を遠ざけること、そして、自分の口に口輪をはめて罪を犯さないようにする秘訣です。主との交わりを欠かすことなく、心に平安と喜びをいただき、笑顔で生きることこそ、クリスチャンの人生です。
「ハレルヤ。わたしはクリスチャン、日々喜び、歌いつつ、主を愛し、主に愛される、主はわたしのすべて。。。。」
清宣教師