38章から始まったヨブと創造主との対話です。創造主は、ヨブとの間で、「わたし」と「あなた」という語りかけで始められ、41章の最期まで、「わたし」と「あなた」という形式をとっておられます。表現としては、ヨブを追い詰めるようなことばも含まれていますが、土台は、「わたし」と「あなた」という関係の上に立っていることを知る必要があります。39章の終わりに続いて、39章1節~4節においても動物を取り上げています。とくに、動物の出産の不思議(神の叡智のあらわれ)を語っています。例えば、キリンは立ったまま、子を産みます。その落差は、1メートル以上です。キリンの赤ちゃんが胎内から産み落とされるときに、あの長い首はどうなるのでしょうか。産道から出て、首から落ちたら、重い体に押しつぶされます。胴体が産道から先に落ちたら、残っている首が折れてしまいます。そこには、安全に産み落とすための絶妙な仕組みがあります。首は付け根から折りたたまれて、胴体の上に安置されて、ストンと産み落とされるのです。ですから、安全なのです。さて、野生の動物(5節~8節)、野牛(9節~12節)、駝鳥(だちょう)(13節~18節)などにおける習性もみな、創造主の設計によること、馬(19節~25節)や鳥(26節~30節)における習性もみな創造主の叡智の現われである、と、創造主である神は宣言しています。余談になりますが、不思議なことは、創世記1章において「家畜」は家畜として、最初から造られていることです(創世記1章25節参照)。つまり、進化論的な発想によると野生のものを飼いならせば家畜になると考えますが、聖書では、最初から、家畜は家畜、人に飼われるものとして造られたことです。家畜とは、学問の分野での定義によれば、家畜とは人とのかかわりでのみ生きていけるものです。家畜に相当するものとして植物の分野では「作物」ということばがあります。植物と作物の違いは、作物は、人の手によって管理されないと生きていけないものです。創世の最初から、人間のために「家畜」や「作物」が備えられていたということです。創造主なる神のかたりかけは、さらに、40章へと続きます。
今日の聖書箇所から教えられることは、創造主のみわざ(創造主の作品)を見る時、そこに創造主の無限の叡智の現われをみることができることです(ローマ人への手紙1章20節)。きょうも、創造主のみわざをほめたたえましょう。清宣教師